エッセイACTION
幸せの方程式 ACTION:速くなった世界で、どこへ向かうか
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AIで仕事も創作も速くなるほど、空いた時間を何へ渡すかが問われます。伝道者の「ヘベル」、トルストイ、イエスさんの言葉から、速さと人生の方向を考えます。
この文章の元になったラジオも、かなりAIに手伝ってもらいました。
調べものをする。資料を整理する。文章を直す。画像を作る。
以前なら、それぞれにもう少し時間がかかっていました。でもAIを使うと、「え、もう終わったの?」と思うくらい早く進むことがあります。
便利です。
ものすごく便利。
なので、ここから私が「AIで人生が速くなりすぎていませんか」と言い始めると、若干お前が言うな案件ではあります。
それでも、使えば使うほど、一つだけ気になることが出てきました。
早く終わったあと、その時間を私は何に使うんだろう。
百年が十年になる、その先で
2026年8月、世界銀行はAIについて、かなり大きな可能性を示しました。
電力、通信環境、デジタル技能などの条件が整えば、開発途上国は、これまで百年ほどかけて進んできたような発展を、十年ほどで進められる可能性があるというものです。
もちろん、人間の寿命が九十年延びるという話ではありません。
国や社会の発展についての話です。
それでも「百年が十年」という数字を見た時、私は少し違うところで立ち止まりました。
十時間かかっていた仕事が、一時間で終わる。
すると、九時間空きます。
さて。
その九時間を、私たちは何に使うのでしょう。
たぶん、かなりの確率で、また九時間分の仕事を入れる気がします。
私もやりそうです。
時間を作るために技術を使ったのに、できた時間へ、また新しい仕事を詰め込んでいく。
それ自体が悪いわけではありません。仕事が速くなることも、作れるものが増えることも、大きな恩恵です。医療や教育のように、これまで届かなかったものが届くようになるなら、なおさらです。
でも、そこで問いが一つ残ります。
私たちは、何のために速くなっているのでしょう。
「ヘベル」は、無価値という意味ではない
この問いを考えていると、旧約聖書の『伝道者の書』を思い出します。
この本、なかなかクセが強いんです。
冒頭から、
「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。」
と始まります。
朝から読むと、なかなか強烈です。
今日も頑張ろうと思って聖書を開いたら、「すべては空」と言われる。
ちょっと待ってください、となります。
ただ、この「空」を単純に「人生なんて全部意味がない」と読むと、少し違って見えてきます。
ここで繰り返されるヘブル語が「ヘベル」です。
煙や蒸気のように、目の前にはあるのに、手でつかんで固定することができないもの。
そこにないわけではない。
ちゃんと見えるし、価値もある。
でも、ずっと自分の手の中へ置いておくことはできない。
私は、この感覚がとても大切だと思っています。
仕事に価値がないわけではありません。
お金にも、作品にも、知恵にも、成果にも価値はある。
ただ、
価値があることと、永遠に自分のものにできることは別です。
伝道者の書2章では、楽しみも、大きな事業も、財産も、知恵も追い求められます。
しかも、何も得られなかった人の負け惜しみではありません。
かなり手に入れた側です。
それでも最後に、自分が築いたものを永遠には所有できないという現実にぶつかります。
自分はいつか死ぬ。
残したものは誰かへ渡る。
その人が大切にしてくれるのか、全部壊してしまうのか。それさえ、自分には支配できない。
無価値だから空しいのではありません。
大切だから握りしめたくなる。
でも、握りしめても、いつか手は開かなければならない。
そこに「ヘベル」があります。
成功したあとにも「で?」は残った
ずっと後の時代に、似た問いへぶつかった人がいます。
レフ・トルストイです。
『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』を書き、世界的な名声を得ました。
作家として見れば、かなりのものを手に入れています。
ところが50歳頃、彼は、自分が今日していること、明日すること、そして人生全体が結局何になるのかという問いから逃れられなくなりました。
その苦悩を、後に『告白』へ書いています。
成功できなかった人が、「成功なんて意味がない」と言ったのではありません。
かなり成功したあとで、
「で、これは何になるんだろう」
と立ち止まった。
ここで、トルストイの後期のキリスト教理解を、そのままキリスト教の標準として扱うつもりはありません。
借りたいのは彼の神学ではなく、一人の人間が成功の先で出会った問いです。
手に入れれば、問いが消えるとは限らない。
むしろ、手に入れたからこそ見える問いもある。
私の場合は、入口が逆でした。
私は、手に入れた時ではなく、失った時に立ち止まりました。
胃を全部摘出したあと、それまで大切だった歌や活動、数字のようなものが、一度すごく遠くなった時期があります。
価値がなくなったわけではありません。
今でも大切です。
でも、その時に、
「あ、これだけじゃ足りないんだ」
と感じました。
頭で理解したというより、身体の側から教えられた感じでした。
伝道者やトルストイは、手に入れた先で立ち止まった。
私は、失った時に立ち止まった。
入口は違います。
それでも最後には、よく似た問いが残りました。
私は、何のために生きるのだろう。
AIは「問い」に出会う時間まで早くするのか
ここからは、世界銀行の研究結果ではありません。
私自身が考えていることです。
AIは、「成功するまでの時間」だけではなく、成功したあとに出てくる問いと出会う時間まで早めるのかもしれません。
今まで三十年かけて登っていた山へ、五年で登れるようになったとします。
すごいことです。
山頂です。
やったー。
ところが、そこでふと、
「あれ?」
となる可能性は残っています。
まだ二十五年ある。
では、次の山へ登る。
それもいいと思います。
新しい目標を持つことも、もっと大きなものを作ることも悪くありません。
ただ、次も、その次も、そのまた次も、「もっと大きく、もっと多く、もっと速く」だけで登り続けたら。
その先は、どこなのでしょう。
AIが速くしてくれるのは、主に「どうやるか」です。
文章をどう作るか。
情報をどう探すか。
画像をどう作るか。
作業をどう短縮するか。
でも、
「何のためにやるのか」
まで、自動的に決めてくれるわけではありません。
そこは最後まで、私たちの側に残ります。
成果を捨てるのではない
ここで伝道者の書へ戻ると、少し意外なところへ着地します。
「全部空しいんだから、何もするな」ではありません。
2章の終わりでは、食べること、飲むこと、自分の労苦の中に良いものを見いだすことへ戻っていきます。
私は、ここが好きです。
普通に働く。
何かを作る。
誰かと笑う。
今日ちょっと上手くいったら、「よし」と喜ぶ。
成果を否定する必要はない。
ただ、それを永遠のもののように握らない。
成果を捨てるのではない。成果を、神の代わりにしない。
これはAIにも、そのまま当てはまるのだと思います。
AIを使って、いっぱい作ってもいい。
一時間かかっていた仕事が十分で終わってもいい。
そして、その残りの五十分でもう一仕事する日があってもいい。
問題は、「働くか、休むか」ではありません。
自分の時間を、何へ渡しているのか。
そこです。
五十分あったら、好きな音楽を一曲ちゃんと聴いてもいい。
誰かとご飯を食べてもいい。
少し外へ出てもいい。
話しかけてきた人がいたら、スマホを置いて、その人の顔を見てもいい。
何もしなくてもいい。
「ああ、今日ちょっと暇だな」という時間を、そのまま残してもいい。
時間を作るためにAIを使ったのに、できた時間を全部また仕事へ戻したら。
あれ。
私たち、何してるんだろう。
速さより先に、方向がある
イエスさんは、山上の説教の中でこう語っています。
「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」
マタイの福音書6章33節です。
この直前で語られているのは、食べるものや着るものへの心配です。
だからこれは、「生活なんてどうでもいい」という言葉ではありません。
働く必要はないとか、お金は必要ないとか、将来を考えるなという話でもない。
必要なものは、必要です。
ただ、その前に何を第一に置くのか。
そこをイエスさんは問い直しています。
何を持つかより先に、何を求めるのか。
どれだけ速く進めるかより先に、どちらへ進むのか。
車がどれだけ速くても、目的地を間違えていたら、間違った場所へ最速で着くだけです。
速さと方向は、別物です。
AIがどれだけ進歩しても、この問いはなくならないと思います。
むしろ「どうやるか」が簡単になればなるほど、
「何のためにやるのか」
という問いは、以前より大きくなるのかもしれません。
ACTIONとは、行動量を増やすことではない
そこで、今回の幸せの方程式はACTIONです。
ただし、ここでいうACTIONは、
「もっと動け」
「もっと頑張れ」
「もっと成果を出せ」
という意味ではありません。
すでに本番のACTIONでは、小さな選択が人生の方向を作ることを扱ってきました。
今回は、さらにその手前です。
技術によって時間が生まれた時、その時間を自動的に次の成果へ差し出す前に、一度、自分で方向を選ぶ。
幸せの方程式 ACTION
人生の向きは、速さではなく、今日の選択で決まる。
AIによって10分だけ早く何かが終わったら。
すぐ次のタスクを開く前に、一度だけ止まってみる。
そして、
「この10分、何に使おう?」
と聞いてみる。
答えが「もう少し仕事をする」でもいい。
休むでもいい。
誰かへ連絡するでも、好きな曲を一曲聴くでも、目の前の人の話を聞くでもいい。
大切なのは、正解を当てることではありません。
自動的に次へ進まず、自分がどちらへ生きたいのかを、一度だけ選び直すことです。
たった10分で、人生が劇的に変わるわけではありません。
でも、その10分を何へ渡すかには、自分がどちらへ生きようとしているのかが、少しだけ現れます。
速くなった世界で、たまには立ち止まる。
方向を見る。
そして、また一歩だけ選ぶ。
世界がどれだけ速くなっても、今日与えられた時間を、愛の方向へ使うことはできます。
百年分をどれだけ急いで進んでも、その先にできた余白を、自分や誰かを大切にするために使えたら。
私は、そっちの方が、たぶん幸せなんじゃないかなと思っています。
ラジオ版
このエッセイの元になった「幸せ解体新書ラジオ」では、伝道者の書、トルストイ、自分自身の経験、AIと時間の話を、もう少し話し言葉でたどっています。
YouTube動画:UwRMX1DeKvE