SANCTUARY / 愛と幸せの方程式
幸せの方程式 SANCTUARY:場所を失っても、宝まで奪わせない
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- METANOIA
届ける場所を失ったとき、歌や祈りまで奪われたように感じることがあります。マタイの福音書6章21節から、場所ではなく宝を守り、新しい聖域を作り直す道を考えます。
場所を失うと、心まで止まりそうになる
過去の曲を、新しい形で届け直そうとしていました。
ところが、配信サービス側の確認で止まり、そのサービスを解約することになりました。
「ここから届けよう」と考えていた場所が、突然なくなる。
それだけの出来事なのに、心の中では、歌まで否定されたように感じることがあります。
計画が閉ざされると、作品の意味も、自分の歩みも、全部無駄になったように見えてしまう。
でも、本当に届けたかったものは、そのサービスに登録されることだったのでしょうか。
届けたかったのは、場所ではなく歌だった
改めて、自分が作ってきた音楽を見つめました。
祈りの濃い『聖域の幻響咆哮』。
咲く前の青さや、未完成な心を抱えた『PURELESS BLUE - Before I Bloom -』。
強い叫びの曲もあれば、誰かに「ねぇ、こっち」と手を伸ばす歌もある。
作品の形は違っても、中心には同じ願いがありました。
孤独な夜に、誰かを一人にしないこと。
言葉にならない祈りを、音にして手渡すこと。
それなら、配信の場所が変わっても、その願いまで消えるわけではありません。
宝のあるところに、心もある
イエスさんは、こう語りました。
「あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。」
マタイの福音書6章21節。
これは、自分の心が何に結びついているのかを、静かに映す言葉だと思います。
もし、プラットフォームに載ることが宝なら、そこを失った時、心も一緒に崩れます。
再生数が宝なら、数字が下がるたび、自分の価値まで下がったように感じます。
誰かから必要とされることが宝なら、その役割を失った時、「私はここにいてはいけない」と思ってしまう。
場所も、評価も、数字も大切です。
ただ、それだけに心を預けすぎると、失った時に自分まで失います。
止められたことと、奪われたことは違う
サービスでの配信は止まりました。
でも、歌うことは止められていません。
別の場所へ届けることもできる。
言葉で背景を伝えることもできる。
聴いてくれる一人に、直接手渡すこともできる。
自分でコントロールできないことと、今選べることを分けると、心に少し余白が生まれます。
「思った道が閉じた」ことと、「すべての道がなくなった」ことは同じではありません。
「ここで届けられない」ことと、「もう誰にも届かない」ことも同じではありません。
聖域は、与えられる場所だけではない
SANCTUARYというと、安全な場所を誰かに用意してもらうイメージがあります。
でも、聖域は、自分で作り直すこともできます。
静かに祈る時間。
本音を隠さず書ける場所。
評価を気にせず音を作る夜。
「これだけは奪わせない」と、自分の中心に戻る瞬間。
外側の場所が失われても、愛や祈りまで差し出す必要はありません。
奪われた場所から、新しい聖域を作り直す。
それは強がりではなく、自分が本当に宝としていたものを選び直すことです。
場所を失っても、宝まで奪わせない
メタノイアとは、「止められたから終わり」から、「では、別の方法で届けよう」へ向きを変えることだと思います。
失った事実をなかったことにはしません。
悔しいものは悔しい。
悲しいものは悲しい。
それでも、その出来事に、自分の宝の定義まで決めさせない。
場所を失っても、歌は残る。
道が閉じても、祈りは残る。
評価がなくても、誰かを生かしたいという願いは残る。
場所を失っても、宝まで奪わせない。
今日の小さな実践
今夜、眠る前に、少しだけ自分へ尋ねてみてください。
「私は今、何を宝物にしているんだろう。」
評価でしょうか。
数字でしょうか。
必要とされることでしょうか。
それとも、誰かを愛すること、祈ること、正直に生きることでしょうか。
答えがすぐに出なくても大丈夫です。
ただ、心がどこに置かれているかを見つめるだけで、向き直りは始まります。
今日の祈り
主よ。
失った場所に心を奪われ、前へ進めなくなっている人を支えてください。
閉ざされた道の前で、すべてが終わったと思わないための光を与えてください。
評価や数字ではなく、愛と祈りを宝として選び直す勇気を与えてください。
私たちが、奪われた場所からも、新しい聖域を作り直せますように。
神様、私たちの宝を、愛の方へ戻してください。
皆様に、主の祝福と平安がありますように。