
『死んだ後を考える朝 / Thinking About What Comes After Death』English below👇️
皆様、おはようございます☀️ はらぺこ僧侶です🤗
今日は日曜日、教会の日です👆️
風邪でしばらくお休みしていたので、今日は久しぶりに教会へ行ってきます。
なんか、嬉しくなっちゃいますね🥰
まだ体調は完璧じゃないので、無理はしませんけど…(アバラが…)
でも、教会に行けるくらいには戻ってきた。 それだけで、ちょっとハレルヤな朝です🙏
そんな今朝、考えていたのは…
死んだ後のこと。
朝から重いです…💦
でも、人は死にます。 いずれ死にます。
それは避けられないです。
気分的には、私も毎日死にそうです。 少し盛ってますけどね笑
でも、気分は本当にそんな感じなんです。
私の場合、風邪だけの話ではなくて、胃を全摘出してから、食後にかなり悶えます。
一度に多く食べられないので、一日6回くらいに分けて食べるんですけど、食べるたんびに、
「痛い…あぁ…もう無理…」 ってなることがあります。
もちろん、そうじゃない時もあります。
でも、結構そうです。 それでも、いつも足りてない。
だから睡眠薬を飲める夕食の時だけは、少し多めに食べることがあります。
そうすると、めちゃくちゃ悶えます。
耐えきれないので… 毎日、眠剤で寝ます💤
あぁ…このまま… って、この術後六年間、何度も思ってきました。
その夜を越え…朝になり
「あ、生きてた」 ってなる🥰🙏
なんか、毎朝ちょっと生き返ってる感じです。
これは、クリスチャンだからイエスさんのパワーで毎日復活しています、という証のお話ではありません。
クリスチャンになる前からですから…笑
たぶん私は、自分が死ぬことに少し慣れてしまっているのかもしれません。
実際その直前になった時に、私がどんな反応をするのかは分かりません。
いつもみたいに、
「またか…」 ってなるのか。
それとも、全然違うのか。 そこは、さすがに分かりません😊
でも、だからこそ今日は、死んだ後のことを少し考え、お話します。
死後の世界。 人は死んだらどうなるのか。
大きく言えば… 何かあるのか、何もないのか。
この二つ。(あの世の分岐は省いてます)
私は聖書を信じています。
そして、イエスさんの言葉に、何度も愛に引き戻されてきました。
だから私個人としては、死後の世界はあると言う主張。
天国も、永遠のいのちも、イエスさんから受け頂いていると考えます…が…!
今日はそこを一度、除いて、決めつけずに考えます。
聖書を信じている私が、あえて、
「あるかもしれないし、ないかもしれない」
です。
天国の写真を持っているわけでもないですし、死後の世界のパンフレットを配れるわけでもありません。
だからここでは、「分からない」ってのが、今日の正解。
でも、分からない中でも、明確なことがあります。
それは、今、愛に生きること❤️
神を愛し、隣人を愛すること❣️
これは、死後の世界があるかないかに関わらず、正しい。 私はそう考えています。
イエスさんはこう言いました。
『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』マタイの福音書 22:37,39
これ、私にとっては信仰の中心です。
神を愛すること。 隣人を愛すること。
難しい聖書を全部理解するより先に、まずここです。
そして、神を愛するというのは、遠くの空に向かってきれいな言葉を投げることだけではないと思っています。
目の前の命を大切にすること。 困っている人を見捨てないこと。 弱っている人を笑わないこと。
そして、自分の身体も、今日ここまで生きてきた命として、ちゃんと大切にすること。
それも、愛なんだと思います👆️
もし死後の世界がなかったとしても、今日、誰かに置いた優しい言葉は、その人の今日を少し温めます。
誰かを傷つけずに済んだなら、その人の痛みを増やさずに済みます。
自分の身体を少し守れたなら、今日の自分を雑に扱わずに済みます。
それは、それだけで意味があります…
そして、もし死後の世界があるなら。
もし、私たちの命がこの身体で終わらず、天国があり、愛が死を越えて続くなら。
その愛は、きっと神の方へつながっていく。
永遠のいのちの方へつながっていくのでしょう。
ここで言いたいのは、愛を損得で選ぼうという話ではありません。
「愛した方がお得です👆️」
みたいな話では…ありません🤔
ただ、死後があるとしても、ないとしても、愛に生きる道は、命を粗末にする方には向かわない。
誰かを壊す方にも向かわない。
自分の心を冷たくしていく方にも、たぶん向かわない。
だから私は、やっぱり愛の方へ行きたいんです。
死後の世界を完全に説明できなくても、今日、愛の方へ向く。
うまく言えないですけど、私の中では、そこがかなり大きいです。
天国を語りながら、目の前の人を雑に扱うのは違う。
永遠のいのちを語りながら、今日の命を軽く見るのも違う。
なんか、そういうのは、イエスさんの言葉から離れてしまう気がするんですよね。
聖書には、こうもあります。
『今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。』コリント人への手紙 第一 13:12
今は、ぼんやり。 一部分しか分からない。
これ、私はすごく大事だと思っています。
信じているからといって、全部を見通しているわけではありません。
聖書を読んでいるからといって、死の向こう側を完全に説明できるわけでもありません。
でも、ぼんやりしていても、愛の方へは向ける気がするんです。
全部は分からない。
死後の世界も、きれいに説明できない。
でも、今苦しんでいる人に、少しやわらかい言葉を置くことはできるかもしれない。
いや、できるかどうか分からなくても、そっちを選びたい。
私はたぶん、そこなんです。
死後の正解を握りしめる前に、今、目の前の命を見たいんです。
私は、死後の世界を怖がらせるために使いたくありません。
先日から続く、 「こうしないと地獄に堕ちるぞ」
こんなのこそ、間違いです。
そんなのは、愛ではなく支配です。
死を考えるのは、脅すためではなく、今日の命を見るため。
いつか終わるからこそ、今日の言葉を雑にしない。
いつか会えなくなるからこそ、今いる人を当たり前にしない。
あぁ…😭
普通に今日も、雑な言葉を使う自信ありますから😂
でも、だからこそ戻るんです。
イエスさんは、こう言いました。
『わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。』ヨハネの福音書 11:25
私はこの言葉を信じています。
でも、この言葉を、人を脅すためには使いたくないし、使ってはいけない。
むしろ、死の前で震えている人、悲しんでいる人、夜を越えている人のそばに置きたい言葉です。
ラザロという人が死に、その姉妹たちが泣いていた場面で、イエスさんはこの言葉を置きました。
そして、イエスさん自身も涙を流しました。
ここ、すごく好きなんです。
死を語るなら、泣いている人の横で語らないといけない😳
死後の正解を振りかざす前に、今泣いている人の涙を見る。
それがない言葉は、たとえ宗教的に正しく見えても、冷たいんです。
私は死後の世界を証明できません。
でも、死の前で人が泣くことは知っています。
身体が痛い夜の長さも、少しは知っています。
「あぁ…このままかも」と思いながら、それでも朝を迎える感覚も知っています。
だから、軽く言いたくないんです。
「天国があるから大丈夫」 とも簡単には言いたくない。
「死んだら無だから気にするな」 とも言いたくない…
どちらも、今苦しんでいる人の前では、少し雑に響くことがあるからです。
でも、私はこう思うんですよね。
分からないことがあっても、愛に戻ることはできる。
終わりが来るからこそ、今の言葉を少し大切にしたい。
死後に何があるのかを完全に説明できなくても、今日、誰かを生かす言葉を一つ置けたら、それはもう十分に信仰の形なんじゃないかなって。
うーん。 なんか、うまく言えないですね。 でも、そんな感じです😋
「今日が最後だったら」みたいな大きな問いにすると、ちょっと自己啓発っぽくなっちゃうので…
その言葉は、命を軽くしていないかな。
自分に向ける言葉も同じです。
「なんでできないんだ」 「またダメだった」
って、すぐ言いたくなるけど、今日くらいは、
「まぁ、まだ生きてるしね」
くらいで止めてもいい。 軽いですかね。
でも私には、このくらいがちょうどいいです。
人は死にます。 いずれ死にます。 私も、あなたも、いつか必ず。
でも、だからこそ今日、言える「ありがとう」があります。
今日、少しだけ黙って待てることがあるかもしれません。
今日、自分の身体に、 「よくここまで来たね」 と言ってあげてもいい。
私も今夜、また食後に悶えるかもしれません。
たぶん悶えます。
そしてまた、 「あぁ…このまま…」 って思うかもしれません。
でも、朝が来たら、また少し生き返る。
その繰り返しの中で、私は今日も、死の答えを握りしめるより、愛の方へ少し戻りたいです。
死んだ後に何があるのか。
そこには、まだ分からない部分があります。
でも、死ぬ前に何を残せるのか。 そこは、今日少しだけ選べます。 今日は久しぶりの教会です。 短い時間だけ。
でも、愛に引き戻される場所へ、少し行ってきます。
今日、皆様の命が守られますように。
死を怖がりすぎず、でも命を軽く扱わず、今ある一日を大切にできますように。
苦しい夜を越えている人に、朝の光がありますように。
そして、いつか終わる命の中で、今日も誰かを生かす愛を少しだけ置いていけますように🙏
God Bless You💫
---
“Thinking About What Comes After Death”
Good morning everyone ☀️ Harapeko Soryo here 🤗
Today is Sunday.
Church day👆️
I have been away for a while because of this cold, so today I am finally going back to church.
Honestly, I am happy🥰
My body is not completely back yet, so I will not push myself.
But I have recovered enough to go.
That alone feels like a small blessing this morning🙏
And this morning, I found myself thinking about…
what comes after death.
Heavy topic for the morning, right? 😅
But people die.
Eventually, we all die.
There is no avoiding that, is there?
Emotionally, I feel like I am dying almost every day.
I am exaggerating a little. lol
But honestly, that is how it feels.
In my case, this is not just about having a cold.
Ever since my total gastrectomy, meals can be a real struggle.
I cannot eat much at once, so I eat around six times a day.
And after eating, there are times when I feel,
“Ah… I cannot do this anymore…”
Of course, it is not always like that.
But it happens quite often.
And still, I am never really getting enough.
So at dinner, when I can take my sleeping medicine, I sometimes eat a little more.
Then I suffer quite a lot.
And because I cannot endure it well…
I sleep with the help of medicine.
“Ah… maybe this is it…”
I have thought that many times over these six years after surgery.
Then I get through the night, morning comes, and I think,
“Oh. I am alive.”
It feels like I am being revived a little every morning.
This is not a story about how I am Christian, so Jesus’ power revives me every day.
This was happening even before I became Christian. lol
Maybe I have become a little too used to the feeling that I might die.
When the actual moment comes, I do not know how I will react.
Maybe I will think,
“Here we go again…”
Or maybe it will feel completely different.
I honestly do not know😊
But that is why I want to think about what comes after death today.
The afterlife.
What happens when a person dies?
In the broadest sense, maybe it comes down to two possibilities.
There is something.
Or there is nothing.
I read the Bible.
And I have been pulled back into love again and again by the words of Jesus.
So personally, I do believe that there is life after death.
I receive heaven and eternal life through the words of Jesus.
But today, I want to set that aside for a moment and think without deciding the answer too quickly.
Even though I believe the Bible, I want to stand for a moment in the place that says,
“Maybe there is something. Maybe there is nothing.”
I do not have photographs of heaven.
I cannot hand out a brochure for the world after death.
So here, I want to say honestly:
I do not know.
But even in that uncertainty, there is something clear.
To live in love now.
To love God and love our neighbor.
Whether there is an afterlife or not, I believe this is right.
Jesus said:
“Love the Lord your God with all your heart, with all your soul, and with all your mind. Love your neighbor as yourself.” Matthew 22:37