
『心の真ん中に、何を置いているのか / What Am I Putting at the Center of My Heart?』
皆様、おはようございます☀️
はらぺこ僧侶です🤗
昨日は久しぶりに、夜の聖書勉強会に行けました。
しばらく行けていなかったので、なんだか嬉しくて、少し時間オーバーしながら楽しんできました🥰
こういう時間、やっぱりいいですね〜
家で一人で聖書を読むのも好きなんですけど、人と一緒に読むと、
「あ、そこ見るんだ」
ってなることがあります。
自分一人だったら、たぶん流していたところで止まるんですよね。
昨日は、その中でこんな箇所を読みました。
かなり有名なところです。
いわゆる十戒の最初の方ですね。
ちょっと今日の御言葉は長いですw
『あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。』出エジプト記 20章3-6節
これ、日本人にはなかなか引っかかるところですよね。
八百万の神の文化で育っていると、
「え、他に神があってはならない?」
って、まずそこに引っかかると思うんです。
下手すると、
「は?何言ってんの?」
ってなるポイントかもしれません笑
もちろん、クリスチャンとして読むなら、この御言葉を大切に受け取るわけです。
でも、そこで私の場合、最初はこうでした。
じゃあ、私は日本の神々を信じないの?
敬わないの?
日本の文化や先人たちの祈りを否定するの?
って…ここ、けっこう大事なところだと思います。
日本の文化や、昔の人たちが大切にしてきた祈りや風習を、私はすごく好きで、お祭りなんて大はしゃぎです。
それ以外にも、そこに込められた願いや、畏れや、感謝はあると思っています。
ただ、私の場合は少し変わっていて、クリスチャンになる前から、そもそも神様という存在をほとんど信じていませんでした🙂↕️
いわゆる無宗教に近かったと思います。
占いとか縁起とか輪廻、前世、ゲン担ぎ、ジンクス…
そういうもの全否定です。。
「今日は良い日です」
って言われても、
「誰が決めたんですか?」
って思ってしまうタイプでした笑
かわいくないです😇
だから、クリスチャンになる前の私が、
『あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。』
という言葉を読んだら、たぶんこう思ったはずなんです。
「いや、そもそもあんたも神なの?」
って。
今だから笑って書けますけど、入口はたぶんそこだったと思います。
でも、そこから少しずつ考え方が変わりました。
聖書には「神は愛です」とあります。
そして、すべてのものを造った存在としての神、創造主という考えがあります。
私は、その方がすんなり来たんですよね。
日本神話で言うなら、天照大神を生んだのは誰なのか。
イザナギさん?
じゃあ、その前は?
もっと前は?
そんなふうに考えていくと、
「じゃあ、その全部の根本にある存在を、創造主って呼べばいいのかな」
くらいの感じで、私は受け取りました。
だいぶシンプル思考です笑
でも、私にはその入口が必要だったんです。
そして、その創造主を「愛」として考えながら聖書を読むと、この御言葉の見え方が少し変わってきました。
「他に神があってはならない」
これは、ただ他の宗教や文化を攻撃する言葉というより、
「あなたの心の真ん中に、愛以外のものを神みたいに置いていないか」
という言葉に聞こえたんですね。
ここなんですよね👆️
偶像崇拝って、木や石の像だけの話ではないと思うんです。
形のあるものを拝むかどうかだけではなくて、心の中で何を一番上にしているのか。
そこを問われている気がしました。
そして、たぶん私にとって一番危ない偶像は、像ではなく、
「自分の正しさ」
かもしれません。
自分教ですね😇
私はこう思う。
私はこう感じた。
私はこう理解した。
それ自体は大事です。
でも、それがいつの間にか愛より上に来てしまうことがある。
自分が正しいかどうかにこだわりすぎて、目の前の人を見なくなることがある。
ありますね…
私にはあります。
だから、この御言葉は、
「日本の神様をどうするか」
という話だけではなく、
「あなたは、何を一番上に置いて生きているの?」
と聞いてくる言葉なのかなと思いました。
そして、この続きがまた強いんですよね。
『わたしは熱情の神である。』
さらに、
『わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問う』
うーん。
なかなか過激です。
正直、ここだけ読むと怖いです。
「え、子孫まで?」
ってなります。
でも、これをただの脅しとして読むより、人が何を一番上に置いて生きるかは、その人だけで終わらないという怖さなのかなと思いました。
親の考え方や家の空気って、良くも悪くも残りますよね。
だからこそ、心の真ん中に何を置くかは、自分一人だけの問題ではないのかもしれません。
でも、この御言葉はそこで終わっていません。
『わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。』
ここも大事ですよね。
三代、四代という言葉より、幾千代という慈しみの方が大きいんです。
神様の本音は、脅して縛ることではなくて、慈しみを広げることなんじゃないか。
私はそう読みたいです。
もちろん、都合よく甘く読むという意味ではありません。
でも、聖書の厳しい言葉を読む時こそ、そこにある方向をちゃんと見たいんです。
哲学者パスカルは、人間を「考える葦」と呼びました。
人間は弱いけれど、考えることができる。
私は、信仰もそこが大事だと思っています。
怖いからそのまま飲み込むのでもなく、気に入らないから捨てるのでもなく、
「これは今の私に何を言っているんだろう」
って考えるんです。
私にとって、聖書を読むというのは、そういう時間でもあります。
今回の御言葉は、今の私にはこう聞こえました。
あなたは、何を神みたいに扱っているの?
自分の正しさを、愛より上に置いていないの?
うわぁ…
書きながら刺さってます🤣
私は、何も信じていないつもりだったからこそ、逆に自分の判断を一番上に置いていたのかもしれません。
それも、ある意味では偶像だったのかなって思います。
だから今日、私はこう祈ります。
イエスさん。
私の心の真ん中に、愛ではないものを置いていたら、気づかせてください。
文化や歴史を雑に否定せず、でもそれを愛より上にも置かず、ちゃんと見分けられますように。
自分の正しさを握りしめすぎている時は、少し手をゆるめられますように。
誰かの信じてきたものをバカにせず、自分の信仰も軽く扱わず、愛に向かって考え続けられますように。
今日も、心の真ん中に何を置いているのか、少しだけ見つめながら歩けますように🙏
今日も皆様に主の祝福と平安がありますように🥰🙏
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“What Am I Putting at the Center of My Heart?”
Good morning everyone ☀️
Harapeko Soryo here 🤗
Yesterday, I was finally able to go to the evening Bible study again.
I had not been able to go for a while, so I was honestly happy, and I ended up enjoying it a little past the scheduled time 🥰
That kind of time really is good.
I like reading the Bible alone at home too, but when I read it with other people, sometimes I think,
“Oh, that’s where you stopped?”
If I had been reading alone, I probably would have just passed over that part.
Yesterday, we read this passage.
It is a very famous one.
The beginning part of the Ten Commandments.
Today’s Scripture is a little long lol
“You shall have no other gods before me.
You shall not make for yourself an idol, whether in the form of anything that is in heaven above, or that is on the earth beneath, or that is in the water under