
『もう頑張れない朝に』
皆様、おはようございます☀️
はらぺこ僧侶です🤗
昨日は、ちょっと今後の新しいチャレンジのために色々調べたり、資料を作ったりと…
頑張りました💪
朝起きたら結構な疲労で、あーちょっともうこれ頑張れないな〜…なんて💦
こういうの、ありますよね。
朝起きた瞬間から、もう無理なんです。
昨日の疲れがそのまま残っていて、身体も重いし、心も重いし、スマホを見る前から、なんかもう疲れてる。
いや、まだ今日始まったばっかりなんですけど?って、自分で自分にツッコミたくなる朝です😅
でも世の中は普通に動いています。
仕事もあるし、家のこともあるし、人間関係もあったりね。
返信しなきゃいけないものもあるし…。
何なら、何もしてないのに勝手に不安だけが通知みたいに上がってくる日もあります。
あれ、ほんと何なんでしょうね。
通知オフにできないんですかね、あの不安通知🙄
そんな時に、「もっと頑張れ」と言われると、しんどいんです。
いや、だからもう頑張れないって言ってるんですけど…ってなるのよね。
元気な時の励ましって、弱っている時には重たく聞こえることがあります。
もちろん、励ましてくれる人の気持ちはありがたいんです。
でも、心が限界に近い時って、前向きな言葉さえ持ち上げられないことがあるんですよね。
今日はそんな朝、聖書アプリから来た御言葉を読んでいました。
テモテへの手紙一、六章十二節にはこうあります。
『信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。』
信仰、信仰って言われると…
ちょっと毎度ながら、うんざりしそうになる言葉でもあります😥
もっと気合い入れろ、もっと強くなれ、ちゃんと最後までやり切れ、みたいに聞こえる人もいると思います。
正直、もう頑張れない朝に読むと、「いや、だから無理なんですって」と思うかもしれません😅
でも、これって誰かを倒す話でも、自分をムチ打って走らせる話でもないと思うんです👆️
不安とか、欲望とか、怒りとか、自己否定とか、そういうものに心が飲み込まれそうになる時に、それでも少しだけ、まともな方へ戻っていく話なのかな?と感じました🕊️
もっと頑張ることだけが答えじゃなくて。
もう頑張れない日に、自分を見捨てないこと。
これも、ものすごく大事なことだと思うんです。
人って、限界が近づくと、自分にひどいことを言い始めます。
なんでこんなこともできないんだろうとか、みんなは普通にやってるのにとか、自分だけ遅れてる気がするとか。
気づいたら、自分で自分を責める声が、誰よりも厳しくなっている。
これね、こわいですよね…😣
外から責められてるわけじゃないのに、心の中に裁判官が住み着いてるみたいになるんです。
しかもその裁判官、だいたい寝不足です。
判断が荒いんですよ😇
だから、もう頑張れない朝に必要なのは、さらに自分を追い込むことじゃなくて、まず自分を壊さないことなんだと思います。
ちゃんとしなきゃ、早く答えを出さなきゃ、もっと強くならなきゃって、自分を急かし続けるより先に、今日の自分がまだ息をしていることを、少しだけ守ってあげる。
それは甘えではないと思います。
むしろ、いのちを雑に扱わないっていう、とても大切な姿勢なんじゃないかなと感じます🌱
悩みって、すぐに答えが出ないことが多いです。
仕事を続けるのか辞めるのか、誰かとの関係をどうするのか、自分が間違っているのか相手が間違っているのか。
考えなきゃいけないことはあるんです。
あります。
でも、本当にしんどい時って、答えを出す前に心が先に倒れそうになることがあるんですよね。
だから私は、今日の幸せの方程式はこうかなと思いました。
頑張れない日は、答えを出す日じゃなくて、いのちを手放さない日。
それだけでいい日があるんです。
祈れないなら、「祈れません」とはっきり告白すればいいし、元気じゃないなら「元気じゃありません」でいい。
ちゃんと信じられないなら、「信じたいけど、今は怖いです」でもいいと思うんです。
あなたの神さまは、きれいな言葉しか聞いてくれない方ですか?
そんなことないと…
私は信じています😌
だってイエスさんは、元気な人だけのそばにいた方ではありませんでした。
病の人、罪人と呼ばれた人、泣いている人、社会の外側に追いやられた人。
そういう人たちのそばに立たれた方でしたよね。
だから、もう頑張れない人のそばにも、イエスさんは立ってくださると思っています。
「もっと頑張ってから来なさい」ではなくて、「もう無理です」と言う人のところへ来てくださる方なんだと思うんです👆️
テモテへの手紙にある「永遠の命を手に入れなさい」という言葉も、死んだ後の天国だけの話ではないと思っています。
もちろん、死後の希望は大切です。
でも、聖書が語る命って、ただ長く続く命というより、神さまの愛から切り離されていない命のことでもあると思うんですよね。
だから永遠の命を手に入れるというのは、いつか遠い未来の話だけではなくて、今日、もう頑張れない心が、それでも愛の方へほんの少し顔を向けることでもあるのかなと思います。
大きく前進できなくてもいいんです。
立派に見えなくてもいい。
誰かに褒められるような一日じゃなくても、壊れそうな自分をなんとか抱えて、今日のいのちから手を離さなかったなら、それはもう十分に尊いことだと思います🙏
信仰の戦いを立派に戦う。
この言葉を、私は今日は少しやわらかく受け取りたいです。
もっと強くなれ、もっと耐えろ、もっと走れ、ということではなくて、愛から離れないで、自分を見捨てないで、今日のいのちをどうか雑に扱わないで、という神さまからの静かな呼びかけとして受け取りたいんです🕊️
もう頑張れない朝に、自分を責める手を少し下ろすことや、誰かに「助けて」と言ってみること。
何もできなかったように見えても、今日を終えるまで自分を壊さずにいること。
それもちゃんと、いのちの方へ向かう一歩だと思います。
小さいですか?
いや、小さくないです。
本当にしんどい時の一歩って、元気な時の百歩くらい重いですからね😅
だから今日、悩んでいる方へ。
答えがまだ出ていなくても大丈夫です。
今すぐ元気になれなくても大丈夫です。
心が揺れていても、言葉が出てこなくても、それだけで終わりではありません。
あなたが今日、自分を完全には見捨てなかったなら、いのちの方へほんの少しでも戻ろうとしたなら、その日はもう、負けの日ではないと思います。
頑張れない日は、負けた日じゃないです。
自分を責める手を少し下ろして、いのちの方へ一歩戻れたなら、それだけでもう十分な一日です。
今日も皆様の一日に、少しでも平安がありますように。
God Bless You💫