朝のメッセージ

答えを急がない愛

/ 参照: マルコの福音書 10章51節

答えを急ぐ前に、その人自身の声を聞く。イエスがバルティマイに尋ねた愛の丁寧さを考えます。

答えを急がない愛というタイトルと、マルコの福音書10章51節、話を聞くピンク髪の女性を描いた見出し画像

おはようございます☀️ 『ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど』

その一言を聞いた瞬間、まだ何も話してないのに、頭の中でもうアドバイスを準備し始めてる自分がいたりします。

こう言った方がいいよとか、気にしすぎじゃない?とか、私も似たようなことあったよとか。

相談が始まる前に、脳内アドバイザーだけ先に出勤しちゃってるんですよね😅

早い。 勤務開始が早すぎる💦

人の話を聞くって、ただ黙ってればいいってわけでもないんだなと最近よく思います。

自分の答えをいったん横に置いて、その人が何に困って、何を感じて、何を望んでるのかを、勝手に決めつけずに受け取ること。

これが、思ってるより難しかったりします。

早く楽にしてあげたい。役に立つこと言いたい。間違った方向に行かないように教えてあげたい。

その気持ち自体は、悪いものじゃないと思うんです。

でも助けようとする気持ちが急ぎすぎると、相手の声を追い越しちゃうことがあるんですよね。

マルコの福音書10章に、目の見えないバルティマイという人が出てきます。

道端に座ってた彼は、イエスさんが通ると聞いて、大きな声であわれみを求めました。

でも周りの人たちは、彼を黙らせようとするんです。

うるさい。邪魔になる。今はそんな場合じゃない。

立場の弱い人の声ほど、あとにしてって押し込められやすかったのかもしれません。

それでもイエスさんは、通り過ぎなかった。

立ち止まって、彼を呼んで、こう聞くんです。

『わたしに何をしてほしいのですか。』(マルコ10:51)

目が見えなくて、道端で物乞いをしてる。困ってることなんて、見れば分かりそうなものです。

それでもイエスさんは、周りの人に彼の願いを説明させなかった。

この人はきっとこうしてほしいはずだって、決めつけることもしなかった。

本人の口から、自分の願いを語れるようにしたんですよね。

ここに、イエスさんの愛の丁寧さがある気がしてます。

人を『助けられる側』って役割に閉じ込めないで、その人自身の声をちゃんと聞く。

困ってる人を見つけたら、すぐ何かしてあげることだけが愛なんじゃなくて。

まず『どうしてほしいですか』って尋ねることも、愛なんだと思うんです。

必要としてるものって、人によって全然違いますもんね。

一緒に考えてほしい人もいれば、ただ最後まで聞いてほしい人もいる。

隣にいてほしいだけの人もいれば、今日はもうこの話終わりにしたい人だっている。

そこを聞かずに善意だけで突っ走ると、親切がいつのまにか支配に変わっちゃうことがあります。

『あなたのためを思って』って言いながら、本人が望んでない答えを押しつけちゃう。

これ、正直私も気をつけないといけないところだったりします😅

もちろん聞くことは、相手の言うこと全部を肯定することとは違います。

違うと思うことまで『そうだね』って言う必要はないし、限界を超えて受け止め続ける必要もない。

余裕がない時は『今はちゃんと聞けそうにない』って伝えるのも大事なことです。

愛って、自分を壊してまで相手の全部を背負うことじゃないと思うので。

ただ、答えを伝える前に、一度だけ聞いてみることはできる気がします。

今日は聞くだけの方がいい?それとも一緒に考えた方がいい?

質問がひとつ増えるだけで、会話の景色ってけっこう変わる気がするんですよね。

今日誰かの話を聞く機会があったら、答えをひとつ減らして、質問をひとつ増やしてみようと思います。

正しいことを言う前に、その人の声がまだ残ってないか、少し待ってみる。

イエスさんが、群衆の声よりバルティマイの声を聞いたみたいに。

声を押し込められてきた人の言葉が、ちゃんと届く場所がありますように。

皆様に主の祝福と平安がありますように🥰🙏

参照: マルコの福音書 10章51節
翻訳: 新改訳2017