
おはようございます☀ はらぺこ僧侶です。
沖縄…台風です😖
まずは皆様に被害がありませんよう、お祈りいたします🙏
さて…
今日は私の話からじゃなくて、まずイエスさんの言葉を聞いてもらえますか…❓️📖
『わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、わたしと一緒に目を覚ましていなさい』 マタイの福音書26章38節
この御言葉、何度も読んできたはずなのに、今日はなんだか、今までとは違う声で聞こえてきた気がして…
この言葉が語られたのは、イエスさんが十字架につけられる前の夜です。
このあと自分が捕らえられ、苦しめられ、殺されることを知りながら、ゲツセマネで悲しみもだえていた時。
そんな時、イエスさんは「大丈夫です」って言わなかったんですよね。
「心配しないでください」とも言わなかったし、
「自分は神の子だから平気です」
って、強がることもしなかった。
苦しい。 悲しい。 一人でいたくない…
ここにいてほしい。
イエスさんは弟子たちに、自分の深い悲しみを隠さず、そのまま見せたんです。
正直、ここを読むたびに胸がぎゅっとなるんですよね😳
私たちって、苦しい時ほど、
「相手も大変だから」 「私が我慢すればいいから」
って、自分の声を小さくしちゃうことがあるじゃないですか❓️
本当は苦しいのに…😭
本当はもう、一人じゃ抱えきれないのに。
それでも笑って、
「大丈夫」 って言ってしまう…
でも、大丈夫じゃないものは、大丈夫じゃないんですよね。
苦しいものは苦しいし、悲しいものは悲しい。
私にも心があって、痛みがあって、
「これ以上は無理」
っていう限界がある。
それを口にすることって、愛を諦めることじゃないんじゃないかなって思うんです。
イエスさんの、
「ここにいて」 「一緒に目を覚ましていて」
という言葉も、誰かを責めたくて言った言葉じゃない気が…します😖
ただ、この苦しみを見ていてほしい。 今だけは、そばにいてほしい…って。
そんな、とても素直で切実な願いだったんじゃないかな〜って。
でも、弟子たちは眠ってしまうんです💤
イエスさんが悲しみの中で祈っている、すぐそばで。
しかも一度じゃなく、イエスさんが戻ってきても、また戻ってきても、眠っていた。
「ここにいて」
って言ったのに、伝わらなかった😢
一番そばにいてほしい時に、分かってもらえないのって、どれくらい孤独だったんだろうって考えちゃいます😭
近くに愛してくれる人がいるはずなのに、心だけひとりぼっちになる。
そんな感覚って、あると思うんです。
苦しさを打ち明けても、
「まだ足りない」 「もっと頑張って」
ってなってしまうやり取りも、割とあると思います…
でも、もう十分頑張ってる時ってあるじゃないですか。
変わろうとしてる。 できることも探してる。
自分の悪かったところも、ちゃんと認めてる。
だからこそ、自分が傷ついたことまで、なかったことにしなくていいと思うんです。
自分の非を認めることと、 自分の痛みを認めること。
この二つは、同時に成り立っていいはずだから👆️
このあとイエスさんは少し離れて、一人、地面にひれ伏して祈るんです。
『わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください』 マタイの福音書26章39節
「この苦しみを取り去ってください」 って、はっきり願ったんですよね。
苦しみから逃れたいと思うのは、信仰が弱いからじゃない。
助けを求めることも、愛が足りないからじゃない。
「もう苦しい」 「これ以上は無理」 「助けてほしい」
って、言っていいんだと思うんです。
ただ、ここで一つだけ、大事にしたいことがあって。
イエスさんは、このあとこう続けるんですよね。
『しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください』 マタイの福音書26章39節 結構、重たい言葉だと思うんです。
でもこれって、
「だから黙って、全部我慢しなさい」 という命令じゃないと思っていて。
「御心だから我慢しなさい」 「信仰があるなら離れてはいけない」 「愛しているなら、何度傷つけられても耐えなさい」
そんなふうに、苦しんでいる人を縛るために使う言葉じゃないはずなんです🤗
イエスさんは、悲しみを隠さなかった。
地にひれ伏した。 苦しみが過ぎ去ることを願った。
そのうえで、父に委ねたんです👆️
いきなり、 「御心のままに」
って言ったわけじゃないんですよね。
その前に、
「苦しい」 「この杯を過ぎ去らせてほしい」
という、切実な願いがあった。
だから私たちも、苦しい時はまず叫んでいい。
悲しい時は泣いていい。
一人で抱えられない時は、
「ここにいて」 って言っていいんじゃないかなって🥰
それでも誰にも分かってもらえない夜があったとしても、
イエスさんが、この孤独をちゃんと知っている方だということを、思い出したいなって思うんです🙏
「そんなことで苦しむな」
とは言わない。
「もっと耐えろ」
とも言わない。
私たちの言葉にならない悲しみを、遠くから眺めているだけの方じゃない。
ご自身も、地にひれ伏すほどの悲しみを知っている方なんですよね🫶
だから、愛するために、自分の存在まで消さなくていい。
誰かの分の責任まで抱え込んで、自分の心を壊さなくていいんだと思います。
誰かを愛することと、 自分の苦しみを「苦しい」と言うこと。
それは両立していいはずだから。
赦すことと、今すぐ同じ場所へ戻ることも、同じじゃなくていい。
相手を悪者にしないことと、
自分が傷ついたことを「傷ついた」と言うことも、ちゃんと両立するんじゃないかなって思います。
もし今、誰にも言えずに抱えていることがあったら…
今日だけは、 「ここにいて」
って、小さく口に出してみてもいいかもしれません。
苦しいと言えますように。 そばにいてほしいと言えますように。
そして、誰かが勇気を出して…
「ここにいて」
って言った時…
正しい答えを急ぐのではなく、 その隣で一緒に目を覚ましていられますように💫
皆様に、主の祝福と平安がありますように🥰🙏
参照:マタイの福音書26章38-39節
翻訳:新改訳2017