「戦争が増えた!」 「地震が起きた!」 「これは終末の前兆です!」
なんて話、インターネットで見かけませんか?
おはようございます☀ はらぺこ僧侶です🤗
最近では「預言者」を名乗り、神から未来を示されたっていう話も耳にします。
世界はもうすぐ終わる‼️ イエス・キリストが再臨する‼️ 聖書の預言が次々と成就している‼️
中には…
イエス・キリストは既に再臨している…‼️
うん…
気になる話。
その終末って、どんなお話だったっけ?🤔
気になったので、聖書から考えてみたいと思います📖
ヨハネの黙示録…
あんまり読まないのよね💦
なので、今日はまずイエスさんの言葉から。
でもその前に…
「予言」と「預言」って、漢字違うじゃない?
未来に何が起こるかを予測するのが一般的な意味での予言。
一方、聖書の預言は、神様からの言葉を人々に伝えること。未来の出来事を告げる場合もあります。
でも、それだけでは…ないみたい。
悔い改めを促したり、人々を励ましたり、慰めたりすることも含まれるんです。
さて気になるのは…
今の時代に預言者なんているの?
実はこれって、キリスト教の中でも意見が分かれているみたいです👆️
預言の賜物は今も続いているという考え。
初代教会の時代に特別な役割を終えたという考え。
私には、そのどちらかを簡単に断定する知識はありません😅
ただ…聖書に気になる部分を見つけました。
新約聖書のテサロニケ人への手紙 第一5章20〜21節には、
預言を軽んじず、すべてを吟味するように書かれています。
つまり、何でも信じていいってわけじゃないんですね。
牧師さんが言ったから、預言者が言ったから、神様から聞いたと言っているから。
それだけで信じるのは、ちょっと違うんじゃないかなというお話。
正直私は、自分がそう感じたこと、自分の想いを…
『あ、これ神様からの預言だ』
と感じることにも同じことが言えるんじゃないか…?とも思います。
それで、ここからが終末論の話。
マタイの福音書24章を読んでみると、弟子たちはイエスさんに、神殿の崩壊や終わりの時について質問しています。
いつ起こるのか、どんな前兆があるのか。
やっぱり気になりますよね。
ところが…
イエスさんは、最初に人に惑わされないよう注意を促すんです。
さらに、戦争や戦争のうわさを聞いてもうろたえないように、まだ終わりではないと話しています。
あれ?
今のインターネットって、まさに戦争や災害のニュースを見て「終末が近い!」って騒いでませんか…?
もちろんね、イエスさんは実際に終わりの日や、ご自身が来ることについても話してます。
だから「終末なんて全部、人間の思い込みです」って言いたいわけじゃあないんです😳
でもね…
その少し後のマタイ24章36節では、その日、その時がいつなのかは、父なる神様だけが知っているって話しているんです。
なのに…
「来月、世界が終わります!」 「あと何年で再臨します!」
なんて言い切る人がいる。
えっと…
なんで知ってるの?🤣
いや、笑い事じゃないんですけどね💦
実際にそれを信じて、怖くなってしまう人だっていると思うんです。
でね、もう一つ。
このマタイ24章を読んでいて、気になる御言葉がありました。
**「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。」**(マタイの福音書24章12節 新改訳2017)
これ…
ちょっと引っかかりませんか?
イエスさんは、戦争や地震、飢饉について話しているんです。
偽預言者が多くの人を惑わすとも話しています。
その流れで…
人々の愛が冷えるって言ってるんですよ。
前後を読むと、信仰を持つ人への迫害や、人々が互いに裏切り、憎み合うことにも触れています。
だから、単に「最近みんな冷たいよね〜」っていうお話ではないんです。
でもね…
今の私たちの生活に重ねて考えることもできるんじゃないかな。
誰かが間違えたら、みんなで叩く。
自分と考えが違う人には、何を言ってもいいと思ってしまう。
正義を語りながら、相手の人格まで否定してしまったり…
あれ?
私もやってないかな…?😅
正しいことを言ってるつもりでも、その言葉に愛はあるんだろうか。
ここは自分にも問いかけたいところです。
ちなみに、この御言葉のすぐ後には、最後まで耐え忍ぶ人についても書かれています。
不法や憎しみが広がっても、そこに流されないこと。
そんな意味も考えながら読んでみたいですね。
んで…
さらに次のマタイ25章。
ここも、なかなか考えさせられるんです。
イエスさんは後半で、最後のさばきについて話しています。
そこで出てくるのが、飢えている人や、喉が渇いている人、病気の人たち。
そして、イエスさんが「わたしの兄弟たち」と呼ぶ、最も小さい者たちに何をしたのか、何をしなかったのかというお話。
マタイの福音書25章31〜46節です📖
この「兄弟たち」が誰を指すのかは、解釈が分かれるところもあります。
それに、単に親切にしていれば救われる、なんて簡単なお話でもありません。
イエスさんは、永遠のいのちやさばきについても話していますからね。
ただ…
ここまで読んでみると、気づくことがあります。
イエスさんが弟子たちに話していたのは、終末がいつ来るのかということだけじゃなかったんです。
その時に備えて、どう生きるのかということも教えている。
あぁ、そっちか…
って思いません?🤔
世界がいつ終わるのかを必死に調べている間にも、私たちは毎日、誰かと出会い、言葉を交わして生きています。
私自身も、いつかはこの世での人生を終えます。
それが明日なのか、何十年も先なのかは分かりません。
でも、今日があることは確かです。
じゃあ…
もし明日が自分の人生の最後の日だとしたら、何をするんだろう?
怖くなって、ただ終わりを待つのかな。
それとも、まだ伝えていない「ありがとう」を伝えたり、誰かとの関係を見つめ直したりするんだろうか。
あ、もちろん、明日終わるって言ってるわけじゃないですよ🤣
私が思うのは…
終末について学ぶことと、終末を怖がって生きることは違うんじゃないかな、ということ。
預言を否定する必要もないし、神様の言葉を軽んじるつもりもありません。
だからこそ、ちゃんと吟味したいんです。
神様の名前を使って人を怖がらせたり、従わせたりする言葉が、本当に神様からのものなのか。
そして、自分が信じていることも同じように。
まだまだ私も勉強中ですけどね🤗
さて…
世界の終わりがいつ来るのか。
それは私には分かりません。
でもね…
かの吉田兼好は『徒然草』の中で、こう書いています。
『死期は序を待たず。』
『徒然草』第155段。
死ぬ時って、こちらの都合や順番なんて待ってくれないってことです。
これ、700年近く前の日本人が書いた言葉なんですよ。
確かにそうですよね。
明日が来るって、誰が保証してくれるんでしょう?
あ、だからって、毎日死ぬことを怖がって生きましょう!なんて言いたいんじゃありませんよ🤣
むしろ逆です。
もちろん、世界の終末と、一人ひとりの人生の終わりは同じ話じゃありません。
でも、どちらも私たちが自由に日付を決められるものではないですよね。
だからこそ、今日という日を大切にしたい。
んで、イエスさんの話に戻るんですけど…
マタイ24章では、人に惑わされないようにって話していましたよね。
そして、人々の愛が冷えていくことも。
ここから私が学んだのは…
未来の出来事を知ろうとする前に、まず自分が今、何を信じて、どう生きているのかを確かめること。
それって、預言を吟味することにもつながると思うんです。
じゃあ、今日から何をしましょうか😊
例えば、誰かが「神様からの預言です!」って投稿していたら、すぐに信じたり否定したりする前に、一度聖書を開いてみる。
誰かに反論したくなったときには、その人の人格まで否定していないか考えてみる。
そして、気になっていた人がいるなら、今日、一言でも声をかけてみる。
そんな小さなことからでも始められますよね🤗
世界の終わりを心配している間に、自分の愛を終わらせてしまう。
それだけは嫌だなぁ…
と思うんです。
祈ります。
父なる神様。
私たちは明日のことも、世界の終わりがいつ来るのかも知りません。
どうか、知らない未来を恐れるあまり、今日という日を見失いませんように。
何が真実なのかを吟味する知恵を与えてください。
間違っていたなら、それを認め、悔い改める勇気も与えてください。
そして何より…
正しさを求めるあまり、誰かを傷つけたり、自分の愛を冷たくしてしまわないように。
今日、私たちが出会う一人ひとりを、あなたが愛してくださっている人として大切にできますように。
主イエス・キリストの御名によってお祈りします。
アーメン。
今日も皆様に主の祝福と平安がありますように🥰🙏
参照:マタイの福音書24章12節
翻訳:新改訳2017