おはようございます☀ はらぺこ僧侶です🤗
昨日、AIの画像生成レベルテストで、私のAI画像をプライベートのアカウントで公開したんですけど、 やっぱりリアクションが良い😆
まぁそれは想定内だと思って、改めて自分のタイムライン『写真』を見てみたら…
あぁ、よくあるAI美女のアカウントじゃんwww
ってなり… 少しMETANOIA(悔い改め)しちゃいました…😭🙏
いやぁ、技術の進歩ってすっごいですね🤣
でも、これをきっかけにちょっと考えてみましょう…
本物と偽物って何なんでしょうか?って🤔
例えば、AIが作った美女の写真を見て「可愛い💕」と思ったとします。
でも、その女性は…
残念ながら実在しません😌
じゃあ、その写真を見て可愛いと思った気持ちまで偽物なんでしょうか?
違いますよね❓️
映画だって、アニメだって、小説だって、現実には存在しない世界に感動して、涙を流すことがあるじゃないですか😊
コリラックマはかわいいし、ちいかわもかわいい(最近観たw)
リゼロ観ました?アニメだけど泣きました…シャウラー‼️😭😭😭
…ね?
作られたものだからといって、そこから生まれる感動まで嘘になるわけじゃあ…
ない。
ここってね?
結構大切だと思うんです。
じゃあ、何が問題なのか❓️
例えば、AIで作った災害の画像に「たった今、ここで起きています」と書いて拡散したら?
それは人を欺くことになります🙅
逆に、本当に起きた災害の写真を見て「どうせAIでしょwww」と片づけてしまったら?
なんかオオカミ少年の話みたいです💦
本当に助けが必要な人がいるのに、作り物だと決めつけてしまう。
つまり…👆️
AIが作った画像だから嘘なのではなく、その画像を何の証拠として扱い、何を信じさせようとするのか。
そこが問題なんじゃないでしょうか。
そして、これってAIが登場するずっと前から、人間が抱えてきた問題でもあるんです。
聖書に、こんな場面があります。
イエスさんが十字架にかけられる直前、ローマ総督のピラトさんから尋問を受けていた時のお話。
イエスさんは、ご自分が真理について証しするために世に来られたことを語り、こう言われました。
「真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」
ヨハネの福音書18章37節 新改訳2017
すると、ピラトさんは尋ねます。
「真理とは何なのか。」
ヨハネの福音書18章38節
これって、すごい問いだと思いませんか?
是非答えを知りたい…😳
でも、この後がもっと重要なんです👆️
ピラトさんはそう尋ねたあと、答えを聞くことなく…
外へ出て行ってしまうのです。
しかも、彼はイエスさんに罪を認めないと口にしているんですよね。
それなのに、最終的にはイエスさんを十字架につけるために引き渡してしまう…。
なぜ?WHY?
ヨハネ19章には、ピラトさんがイエスさんを釈放しようとしながらも…
皇帝への忠誠を持ち出す人々の声に押されていく様子が描かれているんです。
ここで考えたいんです。
ピラトさんは、何も分かっていなかったのでしょうか❓️
少なくとも、イエスさんに罪を認めないという判断はしていました。
それでも、その自分の判断に最後まで従うことができなかった。
真理とは何なのか。
そう尋ねた人が、自分で正しいと判断したことさえ守れなかったんです。
人間って…真実が分からないから間違えるだけじゃあないんですよね。
分かっていても、自分の立場が危うくなると目を背けることがある。
見えているのに、見なかったことにする。
知っているのに、知らないふりをする。
これは、AIなんかよりずっと昔からある、人間の問題なんです。
さて、AIの話に戻ります😋
今の画像生成技術って、本当にすごいです。
皮膚の質感、光の反射、髪の毛、表情…
もうね、実際の写真と区別できないようなものまで作れるようになってきましたよね。
『はっ!AIなんてキモいからすぐわかる!』
なんて言ってるけど…
あなたが見てるそれ、AIかも知れないですよ?😆👆️
そして…
これはこれからもさらに進歩するでしょう。
でもでも?
そうなると私たちに必要なのは、偽物を見破る能力だけなんでしょうか?
私は、もう少し違うところに答えがある。
そんな気がします。
例えば、誰かが投稿した写真を見て、不快な気持ちになったとします。
その写真が本物かどうか確かめる前に、怒って拡散してしまう💢
反対に、自分の好きな人が投稿した写真なら、疑いもせず信じてしまう。
これって、画像を見て判断しているようで、実際には自分の感情に答えを決めさせていませんか?🤔
もしそうなら、AIがどれだけ進歩しても、問題の中心は人間の側に残ることになります。
真実かどうかより、信じたいかどうか。
正しいかどうかより、自分に都合がいいかどうか。
それで判断してしまったら…
たとえ目の前に真実があっても、私たちはそれを退けてしまうかもしれません。
そう…ピラトさんのように。
私はね、真理に近づくというのは、何でも見抜ける人間になることではないと思うんです。
自分が間違っているかもしれない。
そう思えるから、もう一度確かめようとする。
そして、たとえ自分に都合の悪い真実でも、知ってしまった以上はどう向き合うのか。
そこが問われるんじゃないでしょうか。
考えてみたら、ピラトさんの問いって、2000年近く経った今も私たちに返ってきているような気がするんです。
ただ、イエスさんの語る真理は、情報の正誤だけで終わるものではありません。
ヨハネ14章6節では、イエスさんはご自身を道であり、真理であり、いのちであると語られています。
真理は、単に頭で理解して終わる知識ではない。
その言葉を聞いて、自分がどう生きるのか?
イエスさんは、真理を語るだけでなく、十字架に至るまでその道を歩まれました。
私はそこに、ものすごく大きな意味があると思うんです✝️
そして、ここでもう一つ考えたいことがあります。
私たちが嘘を信じてしまった時、その間違いによって誰かを傷つけてしまうことがあります。
でも逆に、真実を知っていても、自分が不利益を受けたくないから黙ってしまうこともある。
その時、必要なのは情報を見抜く技術だけではないはずです。
真実を知ることと、その真実に誠実であること。
似ているようで、違うんですよね。
AIの時代になって、私たちは今まで以上に多くのものを見ることになります。
美しい画像も、悲しい映像も、信じられないような出来事も。
そして、その中には本当のものも、作られたものもあるでしょう…
でも。
だからといって、何も信じない人間になってしまったら、それもまた悲しいじゃないですか😌
私は、何でも信じる人にも、何でも疑って切り捨てる人にもなりたくないんです。
分からないなら確かめる。
確かめても分からないなら、無理に答えを決めなくてもいい。
そして、間違いに気づいたら、そこから考え直せばいい。
それもMETANOIA、向き直ることなんじゃないかな😊
あ、ちなみに…
AI美女の画像生成は、今後も続けますよ?🤣
だって面白いんだもんwww
私の画像で私を作って頂いても🆗にしてます。
あ、でもエロはダメです🙅
ただし、それが創作なのか、現実の記録なのかは、きちんと区別できるようにしたいと思います。
作る側にも、見る側にも責任がありますからね。
今日、何かを見て「これは本当だ!」と思ったとき。
あるいは「そんなの嘘に決まってる!」と思ったとき。
ちょっとだけ考えてみませんか?
自分は、何を根拠にそう思ったんだろう?って🤔
そして、本当のことが分かった時。
その真実に、私はどう向き合うんだろう。
真理は、私たちが信じたいことに合わせて変わってくれるものではありませんから。
皆さん、今日も素敵な一日をお過ごしください🥰🙏
参照:ヨハネの福音書18章37〜38節
翻訳:新改訳2017