おはようございます☀️ はらぺこ僧侶です🤗
今日は皆さんに、どうしても伝えたい言葉があります。
「君は愛されるため生まれた」
私はこの言葉を、ただの励ましだとは思ってません。
私は、この真理を伝えたいんです。
でもね、ちょっと考えてみてください。
誰に愛された?✝️
両親に?
いやいや…両親から愛されずに育った人もいるでしょう。
結婚して、愛し合っていたはずなのに、裏切られたり、傷つけられたり…
愛された記憶より、傷ついた記憶のほうが多い人だっていると思います。
そんな人に、
「あなたは愛されるために生まれてきたんですよ🥰」
なんて言ったところで…
「じゃあ、私は誰に愛されたの?」
って思われても仕方ありませんよね🤔
でも、私が伝えたいのは、そういう人間同士の愛だけじゃないんです。
ちょっと周りを見てください…
私たちが立っている大地があって、呼吸する空気があって、見上げれば空が広がってる。
昼には太陽が昇り、夜には月や星が輝いています。
そして、その世界の中に私たちも生きてる。
もし、そのすべてを造った方がいるのなら…
その方の愛が、日本人だからとか、クリスチャンだからとか、そんな人間の決めた境界に縛られると思いますか?🤔
私はそうは思わないんです。
だって、聖書にはこう書いてあるんですよ📖
ヨハネの福音書3章16節(新改訳2017)
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」
ここに書かれているのは、日本人だけでも、クリスチャンだけでもありません。
「世」なんです。
国籍も、人種も、血統も、育ってきた環境も…
どんな宗教を信じてきたか、どんな過去を背負っているかも。
神様の愛を知るために、まず生まれや経歴で選ばれなければならない、なんて話じゃないんです。
イエスさんも、善人にも悪人にも太陽を昇らせ、正しい人にもそうでない人にも雨を降らせる天の父について語ってます。
マタイの福音書5章45節です。
しかもこれ、敵を愛し、自分を迫害する人のために祈りなさいと教えてる場面なんですよ。
すごいと思いませんか?
自分を愛してくれる人だけじゃなく、自分に敵対する人にまで愛を向ける。
そこまで言うんです。
でもね…
そんな神様の愛について考えていたとき、とても悲しいニュースを知りました。
10月17日、南米エクアドルの教会で、ミサの最中に大きな木製の十字架が倒れ、パトリシオ・サンチェス神父が亡くなったんです。
少し、祈らせてください。
主よ。
亡くなられた神父さんのご遺族、教会や関係者の皆さん、そしてこの事故の映像を目にして、心を痛めた方々をどうか慰めてください。
悲しみや恐れの中にある一人ひとりに、あなたの愛と平安が届きますように。
イエスさんの御名によって祈ります。 アーメン🙏
礼拝は生配信されていたそうです。
神様を礼拝している、その場所で。
なんで…?
って、思いませんか。
神様が愛なら、どうしてこんなことが起こるんでしょう。
「これは神様の罰なんじゃないか?」
「神父さんの信仰が足りなかったんじゃないか?」
そう考える人もいるでしょうし、そう言って何かを批判する人もいると思います。
そして正直に言えば…
私の頭にも、そんな考えがよぎります。
でもね…
そう考えることと、それが真実だと決めつけることは、まったく別の話じゃないでしょうか。
私には、この事故がなぜ起きたのかも、神様がなぜ防がなかったのかも分かりません。
まして、亡くなった神父さんの信仰を、私が勝手に評価することなんて出来ませんよね。
神様の愛を伝えたいと言ってる私が、その神様の名前を使って誰かを裁き始めたら…
それこそ、何を伝えてるんでしょうね。
そして、神様に愛されてるということは、この世界で絶対に傷つかないとか、病気にならないとか、死なないという約束でもないんです。
イエスさんご自身が、人に裏切られ、苦しみ、十字架で命を落としました。
それでも、その十字架を通して神様の愛が示された。
私は、そこにこそ目を向けたいんです。
そして、このニュースを知って、改めて思ったんです。
私たちは、明日も必ず誰かに会えるとは限らない。
だからこそ、今日伝えられる愛を、明日へ先延ばしにしたくないんです。
君は愛されるため生まれた。
私は、この言葉を伝え続けたいと思っています。
でもね、これは私が一人で伝えればいいって話じゃありません。
皆さんにもお願いがあります。
今、病気で苦しんでいる人がいるかもしれません。
誰にも相談できずに悩んでいる人、寂しさで泣いている人、怒りで心がいっぱいになっている人…
そんな人が皆さんの周りにいたら、どうか声をかけてあげてください。
その人は日本人じゃないかもしれないし、違う神様を信じてる人かもしれません。
そもそも神様なんて信じてない人かもしれない。
でも、それが何だって言うんでしょう?
その人の国籍や宗教を確かめてから、愛するかどうか決めるんですか?
そんなのおかしいですよね😅
神様が先に愛してくれたのなら、私たちも先に愛を向けたらいいんです。
もちろん、無理に聖書を読ませたり、信仰を押しつけたりすることじゃありませんよ。
まずは声を聞いてあげる。
「どうしたの?」
「大丈夫?」
「何か私にできることはない?」
そんな一言でもいいと思います。
泣いている人に、立派な説教なんて必要ないときもあるでしょう。
ただ隣にいて、一緒に泣いてくれる人が必要なこともあります。
そして、その人が少し顔を上げたとき…
伝えてあげてほしいんです。
あなたを愛してる方がいるんですよ。
あなたがその愛をまだ知らなくても。
今まで誰からも愛されなかったと思っていても。
あなたの存在そのものを、大切に思ってくれる方がいるんです。
私は、イエスさんを通してその愛を知りました。
だから皆さんにも知ってほしい。
そして、知った人がまた誰かに伝えてくれたら…
その人がまた、別の誰かに声をかけてくれたら…
世界中にいる、名前も顔も知らない誰かにまで、愛が届くかもしれませんよね🥰
何も難しいことじゃありません。
今日、目の前にいる誰かを、少しだけ大切にしてみてください。
その一人が、ずっと愛を探していた人かもしれませんから。
君は愛されるため生まれた。
そして…
君も、誰かを愛することが出来るんです。
どうか今日も、皆様に主の祝福と平安がありますように🥰🙏
良い一日を☀️
参照:ヨハネの福音書3章16節、マタイの福音書5章45節
翻訳:新改訳2017