Message朝のメッセージ

あなたの愛まで、冷やさなくていい。

参照:マルコの福音書13章33節
はらぺこ僧侶
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METANOIA

戦争や災害のニュースを見る朝、『こんな世界で私だけ笑っていていいのかな』と思う。マルコ13章とマタイ24章から、世界が荒れても自分の愛まで冷やさないことを考えます。

朝焼けの窓辺で、ピンク髪のはらぺこ僧侶が聖書とスマートフォンを前に静かに考える見出し画像。『気をつけて、目を覚ましていなさい。』というマルコの福音書13章33節の御言葉を主役に掲載

あなたの愛まで、冷やさなくていい。

おはようございます☀️ はらぺこ僧侶です。

朝起きてスマホを開いた瞬間、頭の中でずっと転がっていたことがありました😞

世界がしんどいからって、自分まで一緒にしんどくいなきゃいけないなんてルール、本当はどこにもないんじゃないかな…と。

ニュースを見れば、戦争があって、災害があって、病気で苦しんでいる人もいれば、今日食べるものに困っている人もいる。

そういうものを見ていると、

『こんな世界で、私だけ笑っていていいのかな』

って思う朝、正直…あります。

でもね…まぁ持論なんですけど…

私が今日ちょっと笑ったからって、誰かの笑顔が一個減るわけじゃないんですよね。

自分が平安を受け取ったからといって、誰かから平安を奪ったわけでもない。

だったら、誰かが苦しんでいることを理由に、自分まで苦しみ続けなくてもいいんじゃないか。

そんなことを考えていました🤔

もちろん、

『じゃあ世界のことなんて気にしなくていいよね😊』

って話ではないです。

誰かの犠牲の上に自分の幸せを積み上げたり、苦しんでいる人を見て見ぬふりしたりすることを、私は幸せとは呼びたくない。

でも、自分まで一緒に沈むことだけが、誰かを愛する方法でもないんですよね。

先に助けられたなら、そこから手を伸ばせばいいし、平安を取り戻せたなら、その平安を持って誰かの隣に行けばいい。

そう考えていた時に、イエスさんの言葉が浮かびました。

『また、戦争や戦争のうわさを聞いても、うろたえてはいけません。そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。』

マルコの福音書13章7節 新改訳2017

イエスさんはここで、戦争なんて大したことないとは言っていません。

むしろマルコ13章を読むと、戦争だけじゃなく、地震や飢饉、迫害や裏切りまで、かなり重い話が続いています。

それでも、

『うろたえてはいけません』

と言うんです。

そして章の終わりでは、

『気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたは知らないからです。』

マルコの福音書13章33節 新改訳2017

と続きます。

この『目を覚ましていなさい』という言葉そのものが、直接『愛を忘れるな』という意味ではありません。

いつその時が来るか分からないから、油断せず、与えられた場所で目を覚ましている。

マルコ13章では、そういう文脈です。

でもね…

同じように終わりの時についてイエスさんが語っているマタイ24章を読んでいたら、一つ、妙に引っかかる言葉がありました。

『不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。』

マタイの福音書24章12節 新改訳2017

あぁ…

怖いのは、世界で起きる出来事だけじゃないんだなって思ったんです。

世界が荒れていく中で、こっちの心まで荒れてしまうことがある。

怖さがいつの間にか憎しみに変わって誰かを簡単に敵だと決めつけたり、悲しいニュースを見すぎて、人の痛みに何も感じなくなったりする。

逆に、世界にはこんなに苦しんでいる人がいるんだからと、自分が笑うことや幸せになることまで悪いことのように感じてしまうこともある🥲

形は違っても、それで愛が冷えてしまうなら、なんか違うなって。

昨日私は、

『目を覚ますとは、愛から、イエスさんから目を離さないことだと思います』

と書きました。

もちろん、これは聖書本文そのものの定義ではありません。

私自身が、この御言葉を今日どう生きるかという話です。

世界で何が起きているのかはちゃんと見るし、苦しんでいる人からも目をそらしたくない。

でも、恐怖ばかりを見続けてイエスさんや愛を見失うこともしない。

世界が荒れているからといって、自分の中の愛まで冷たくしない。

私にとって『目を覚ましている』って、そういうことでもあるのかなと思っています🥰🙏

そして、もう一つ。

昨日『いち早く救われ、その幸せの福音を人に届ける』と書きました。

言葉では簡単に書けても、『救い』と『幸せ』はもちろん同じ意味ではありませんよね。

福音は、

『イエスさんを信じたら毎日楽しくて、嫌なこともなくなりますよ』

という話ではありません。

救われても泣く日はあるし、苦しいことも起きる。

それでも、イエスさんを通して神様のもとへ招かれた私たちは、苦しみの中で一人きりに放り出されているわけじゃない。

そこには希望があって、平安があって、もう一度人を愛する力を受け取れる。

だから昨日『幸せの福音』と書きながら、本当に言いたかったのは、

自分が受け取った希望を、自分のところで止めないこと

だったんだと思います。

自分だけ暖まって終わるんじゃなくて、

『ここ、あったかいよ😊』

って誰かを呼べること。

なんか、そっちのほうがずっと好きですよね🤗

だから今朝は、幸せになれる瞬間が来たら、私も遠慮せずちゃんと受け取ろうと思います。

笑える時には笑って、休める時には休んで、誰かから差し出された愛も『私なんか』って跳ね返さずに受け取る。

そして少し元気になったら、その温かさを誰か一人にも分けられたらいい。

世界全部を一人で救うことなんてできません。

でも、世界の苦しみに飲み込まれて、自分の中の愛まで冷やす必要もない。

今朝、スマホを閉じる時に、

怖いニュースだけを心に持って一日を始めるのはやめようと思いました。

今日も世界をちゃんと見ながら、イエスさんから目を離さない。

そして今日受け取った小さな幸せを、一つでも誰かと分けられたら。

それで十分、昨日とは少し違う一日になる気がします🥰

さて、今日は日曜日。

教会に行ってきます🤗

皆様に主の祝福と平安がありますように🙏

良い一日を☀️

参照:マルコの福音書13章33節
翻訳:新改訳2017

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