Message朝のメッセージ

待つのって、怖い。

参照:イザヤ書41章10節
はらぺこ僧侶
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METANOIA

やれることを全部やったあと、待つ時間が怖くなる。伝道者の書3章1節とイザヤ書41章10節から、先が見えない時にも『わたしはあなたとともにいる』という約束を握る朝Messageです。

朝の窓辺で、ピンク髪のはらぺこ僧侶がノートPCの前に座り、静かに待つ時間を見つめる見出し画像。『待つのって、怖い。』と『恐れるな。わたしはあなたとともにいる。』イザヤ書41章10節を掲載

待つ時間って、心臓の音だけが大きくなる気がします。

おはようございます☀️ はらぺこ僧侶です。

METANOIAの作業も、正直もうやれることは全部やったんです。

直して、確認して、送って……

そこから先は、もう自分の手を離れました。

なのに今、画面の前でじっとしてるだけなのに、息が浅くなる瞬間があるんですよね😅

動いてる間は、まだ怖くないんです。

何か起きても「じゃあ直そう」って、また手を動かせるから。

でも待つ番になると、急に自分だけ置いていかれたみたいな感覚になる。

このまま何も起きなかったらどうしよう。

間違った方向に進んでいたらどうしよう。

まだ何も起きてないのに、頭の中の未来だけが勝手に暴れ出すんです。

そんな時にふと、この御言葉が浮かびました。

すべての物事には、ちゃんとした時があるっていう話です。

『すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。』 伝道者の書3:1 新改訳2017

最初は、

「あぁ、神様のタイミングがあるから焦らず待とう、って話かな」

って思ったんです。

でも読み進めると、そんな綺麗事だけじゃないんですよね。

生まれる時があって、死ぬ時がある。 植える時があって、抜く時がある。 泣く時もあれば、笑う時もある。

自分が選びたい瞬間ばかりが来るわけじゃない。

それで、あぁ、だから待つのは怖いんだって、腑に落ちました。

待ってる時間って「何も起きてない時間」じゃないんです。

次に何が来るか、自分にはまだ見えてない時間なんですよね。

今まで、「これで行ける」と思ったものが急に止まったり、作り直したり、遠回りしたように見えたことが何度もありました。

あとから振り返れば、 「あの時止まってよかった」 って思えることも確かにあります。

でも……

それは全部「あとになって」分かる話なんです。

渦中にいる私は、その結末をまだ知らない。

結果を知ってる人が「大丈夫、時があるよ」って言うのは簡単です。

でも待ってる本人は、大丈夫かどうかすら分からないまま、今日を過ごしてる。

だから「時を待ちましょう」だけじゃ、なんか足りない気がしたんです。

本当に怖いのは、時間がかかることじゃなくて、この先の自分がどうなるか分からないことなんだと思います。

それで、ふと気づいたんですけど。

神様は私に、未来の予定表を渡してくれたわけじゃないんですよね。

「9月何日にこれが起きて、そのあとこうなって、最終的にはこうなるから安心して」

……そんな親切な工程表、正直私も欲しいです😅

でも聖書で繰り返し語られてるのは、未来を全部教えてくれることより、

「わたしはあなたとともにいる」

っていう、すごくシンプルな約束だったりします。

待つ時間に必要なのは、未来を知ることじゃないのかもしれない。

先が見えなくても、ひとりじゃないって知ることなのかもしれない。

もちろん、「神様の時があるから」を、何もしない理由にはしたくないです。

今日できることがあるなら、ちゃんとやる。

謝る時なら謝るし、動く時なら動く。 植える時なら、ちゃんと植える。

でも、もう自分の手を離れたものまで、無理に握り直そうとはしない。

そこから先は……

怖くても、待つ。

信仰って、怖くなくなることじゃないんだと思います。

怖いままでも、 「それでも、ここにいよう」 って思えることなのかもしれません。

だから今、何かを待ってる人がいたら。

答えを待ってる人も、変化を待ってる人も、名前もつけられない「その時」を待ってる人も。

無理に「大丈夫」って思わなくていいと思います。

怖いなら、怖いままでもいいです。

私も今、正直怖いです。

でも、その怖さが消えてから信じるんじゃなくて……

その怖さのまま、今日はこの言葉を一緒に握っていたいです。

『恐れるな。わたしはあなたとともにいる。』 イザヤ書41:10 新改訳2017

皆様に主の祝福と平安がありますように🥰🙏

参照:イザヤ書41章10節
翻訳:新改訳2017

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