住みにくい世界を、少し住みよく。
おはようございます☀ はらぺこ僧侶です。
今日は土曜日。
土曜日って、なんとなく平日とは空気が違いますよね😊
もちろん今日も仕事の方はたくさんいるし、予定がぎっしりの人もいると思うんですけど、
「ちょっとだけゆっくりしたいなぁ」
って思う朝でもあります☕
でも不思議なもので、ゆっくりしようと思った日に限って、頭の中だけ忙しかったりするんですよね😂
ちなみに私も今日は忙しい…💦
あれもしなきゃ。 これも終わってない。 あの人とのことも気になる。
身体は椅子に座ってるのに、頭の中だけ朝から全力疾走してる。
なんやねん、先に走ってどこ行くんや😂
そんなことを考えていたら、夏目漱石の『草枕』に出てくる有名な言葉を思い出しました。
漱石さんは、人間の世界って、理屈だけで生きても角が立つし、感情だけで生きても流されるし、自分の意地だけを通しても窮屈になる、と書いたあと、
「とかくに人の世は住みにくい。」
と言っています。
100年以上前の言葉なのに、
分かるわぁ……😅
ってなります。
たぶん私たちは時々、
「ちゃんと生きれば、生きやすくなる」
と思っているんですよね👆️
ちゃんと仕事して、ちゃんと人に優しくして、ちゃんと健康に気をつけて、ちゃんと信仰を持って、ちゃんと考えていれば、
人生はそのうちスムーズになるはず。
でも、そうとも限らない。
どれだけ気をつけても誤解される日はあるし、正しいと思って選んだことがうまくいかない日もあります。
自分が悪くなくても、雨は降る😂
そして聖書を開いてみると…
イエスさんも意外なくらい現実的なことを言っています。
「世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」
ヨハネの福音書16章33節 聖書 新改訳2017
ここね、ちょっと面白いと思うんですよ🤗
イエスさんは、
「私を信じたら人生は住みやすくなりますよ」
とは言ってないんですよね。
苦難はある。
そこは普通に言う😂
でも、その現実の中でも平安を失わなくていい、と語っています。
心理学にも、これと少し重なるように見える「心理的柔軟性」という考え方があります。
簡単にいうと、
嫌なことや不安を全部消してから生きようとするのではなく、その感情がそこにあっても、今の状況を見ながら、自分が大切にしたい方向へ行動を選び直していく力です。
つまり、
「嫌な気持ちにならない人」が強いわけじゃない。
「思いどおりにならない状況でも、次にどうするかを選べる人」のほうが、しなやかなんです。
これ、私には結構大きな学びでした。
住みにくいと感じた時、
すぐに
「私の人生、間違ってるのかな」
まで行かなくていいんですよね。
人の世は、もともと少し住みにくい😂
イエスさんだって「苦難があります」と言ってる。
だったら大切なのは、
住みにくさをゼロにすることより、
その中で自分が何を選ぶか。
今日ちょっと嫌なことが起きたら、
すぐに「今日は最悪」にしないで、
一回だけこう聞いてみようと思います。
「で、ここから私はどうする?」
怒る必要があるなら、怒りを感じてもいい。
休む必要があるなら休む。
謝るところがあるなら謝るし、逆に無理なことには「無理です」と言ってもいい。
そのうえで、
今の自分にできる、いちばん愛のある一手を探してみる。
世界全部を住みやすくするのは、今日一日では無理です。
でも、自分の半径1メートルくらいなら、
ちょっとだけ住みやすくできるかもしれません😊
誰かに「おはよう」と言う。
散らかってる机を少しだけ片づける。
疲れてるなら、ちゃんと休む。
誰かの話を、スマホを置いて聞く。
そんな小さなところからでいい。
漱石さんが「人の世は住みにくい」と書いてから120年ほど経った今日も、
やっぱり人の世は、なかなか住みにくいです😂
それでも…
今日ここを、
昨日よりほんの少しだけ、
愛のある場所にすることはできる。
そんな土曜日にしたいですね😊
最後に少し、お祈りします🙏
あぁ主よ。
今日も朝を迎えられたことに感謝します。
思いどおりにならないことや、人とのすれ違い、不安や疲れの中で、
世界を全部変えようとして、自分まで苦しくなってしまわないようにしてください。
苦難を「ないこと」にするのではなく、
その中でも平安を失わず、
今日できる愛を、一つ選べる私たちでいさせてください。
疲れている人には休息を。
迷っている人には知恵を。
孤独の中にいる人には、誰かとの温かなつながりがありますように。
そして今日、
私たちのいる場所が、
ほんの少しでも住みよい場所になりますように。
それでは皆様、
今日もゆっくり、まったり、ぼちぼちと😊☕
素敵な土曜日をお過ごしください。
ハレルヤ☀
参照:ヨハネの福音書16章33節
翻訳:新改訳2017