おはようございます☀️ はらぺこ僧侶です。
今日20時に、『叫祈 - I’m Still Here -』を公開します。
この一曲で、9曲のアルバム 『聖域の幻響咆哮|Gothic Symphonic Metal Album』 が完成します。
ただ、このアルバムを「新しい9曲を作りました」と紹介すると、ちょっと違うんです。
元になったのは、以前作った『幸福の幻響咆哮』というアルバムです。
胃がんで胃を全摘して、それまで当たり前だった身体との付き合い方が大きく変わった時期に作った曲たちでした。そこには、大切な人を失った悲しみも重なっています。
だから、このアルバムに出てくる「痛み」は、ゴシックメタルっぽくするための演出だけではありません。
死ぬことが怖い。もう終わりにしたい。でも生きたい。眠れない夜がある。失った人を思い出す。
そういう、生きている途中で本当に出てきたものが、歌になっています。
今回の『聖域の幻響咆哮』は、その昔の曲を今の私がもう一度作り直したアルバムです。
題名も変えました。音も映像も作り直しました。聖書との向き合い方も、音楽そのものへの考え方も変わりました。
そして今は、AIも制作の道具として使っています。
「AIが作ったアルバム」というより、歌いたくても自分の身体や声だけではできなかったことを、AIという新しい楽器も借りながら、歌詞、音、映像、世界観まで一つずつ自分で組み直していった、という方が近いと思います。
音楽的には、ゴシックメタルの暗さとシンフォニックメタルの壮大さに、賛美歌や祈りを重ねたものです。
私自身は、それを Gothic Hymn Metal と呼んでいます。
でもね。
今回あらためて9曲を見ていて、これは単なる「リメイク」でもないなと思いました。
昔の作品を今風に綺麗にするだけなら、もっと簡単だったはずなんです。
そうじゃなくて、あの頃の自分が残した歌を、今の自分が迎えに行っている。
『鎮花』にある死への恐れから始まって、『幽響』では痛みを慈しみの中へ委ねようとする。『逢刻』では死の側へ傾きながらも「まだ行かないで」と生を求め、『拡聲』では閉じ込めていた声を外へ放つ。
そこから眠れない夜、喪失した人への思い、祈りを抱えながら進んで、最後の『叫祈』でたどり着く言葉が、
I’m Still Here.
「私は、まだここにいる」です。
こうして見ると、『幸福の幻響咆哮』を『聖域の幻響咆哮』へ作り直したことの意味が、少し違って見えてきます。
過去の自分を消したかったんじゃない。
迎えに行きたかったんだと思います。
ここで、ヨハネの福音書20章に出てくるトマスの場面が重なります。
イエスさんが復活したと聞いても、トマスは信じられませんでした。自分の目で手の傷を見て、確かめなければ信じないと言います。
その八日後、イエスさんはトマスの前に立って言われました。
「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。」
ヨハネの福音書20章27節 新改訳2017(一部引用)
このあとイエスさんは、脇腹にも手を伸ばすようトマスに語り、信じない者ではなく信じる者になるよう促されます。つまり、復活したイエスさんは、十字架なんて最初から無かったかのような姿でトマスの前に立ったわけではありません。手と脇腹には、十字架で受けた傷が確認できる形で残っていました。
もちろん、ここから「傷がある方が素晴らしい」と言いたいわけではありません。
傷つかなくていいなら、その方がいい。
痛みを美化して、「その経験にも意味があったんだから感謝しなさい」なんて、傷ついている人に押しつける話にもしたくありません。
ただ、復活したイエスさんを見ていると、少なくとも一つ、私には大切に思えることがあります。
復活は、傷が無かったことになることではない。
傷のあるイエスさんが、もう墓の中ではなく、生きてトマスの前に立っている。
その姿と今回のアルバムを同じものだと言うつもりはありません。これは聖書本文から先の、私自身の受け取り方です。
でも、その姿を見ていると、『聖域の幻響咆哮』を「復活のリメイク」と呼びたくなる理由が分かる気がします。
胃を失ったことも、大切な人を失ったことも無かったことにはならないし、作品を作ったから全部報われたとも言えません。
それでも、あの頃の自分が残した歌は消えなかった。
今の自分がそこまで迎えに行って、今の祈りと、今の音と、今持っている技術でもう一度立ち上げることはできた。
だから「幸福」から「聖域」へ変わったんだと思います。
私にとっての聖域は、傷のない人だけが入れる綺麗な場所ではありません。
痛みや悲しみを持ったままでも入れるし、うまく祈れない夜には、言葉の代わりに咆哮を持ち込んでもいい。外側の場所や評価が変わっても、ここに置いた愛や祈りや歌までは奪わせない。
そんな場所です。
そして今日20時、その聖域の最後に『叫祈 - I’m Still Here -』が加わります。
全部を乗り越えて強くなった人が歌う曲ではありません。
傷も罪悪感も抱えながら、それでも愛だけは消したくないと叫ぶ歌です。
最後に残るのは、「勝った」でも「もう大丈夫」でもなく、
I’m Still Here.
まだ、ここにいる。
なんだか、このアルバムらしい終わり方だなと思います。
でも実は、ここで終わりでもありません😂
3日後の 9月15日20時、次のOfficial MV 『血 - Written in Your Blood -』 を公開します。
この歌で繰り返すのは、
「私は浴びる あなたの血潮」
という、かなり強烈な言葉です。
でも、恐怖や暴力を歌っているわけではありません。
十字架で流されたイエスさんの血潮を、赦し、きよめ、契約、そして自分のために差し出された愛として受け取る歌です。
O Haima Jesus.
『叫祈』で「私はまだここにいる」と叫んだその先で、では、なぜここに立っていられるのか。
『血』では、その問いが十字架の方へ向いていきます。
そう考えると、完成って「終わりました」という意味だけじゃないのかもしれません。
昔の自分が抱えていたものを、今の自分が受け取り直して、今度は誰かへ渡せる形にする。
今日20時、『聖域の幻響咆哮』は完成します。
傷が消えた証明ではありません。
傷を抱えたまま、それでもこちら側に残って、もう一度愛を歌い直した記録です。
今夜からこの9曲が私の手を離れて、誰かの時間の中で鳴り始めます。
眠れない夜に聴く人がいるかもしれないし、何かを失ったあとに聴く人もいるかもしれません。
その人がまだ何も乗り越えていなくてもいい。
ただ音楽が終わったあとに、
「私も、まだここにいるな」
って、ほんの少し思える時間になったら嬉しいです。
皆様に主の祝福と平安がありますように🥰🙏 今日も良い土曜日を☀️
参照:ヨハネの福音書20章27節
翻訳:新改訳2017