Message朝のメッセージ

希望があっても、泣いていい

参照:ヨハネの福音書 11章35節・25節
はらぺこ僧侶
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METANOIA

大切な人を思い出して涙が流れる日。希望を知っていたイエスも、ラザロの墓の前で涙を流されました。悲しみを急いで終わらせず、涙の中でも希望へ向くことを考えます。

朝の光の中、涙を浮かべるピンクのポニーテールのはらぺこ僧侶と、「希望があっても、泣いていい」「イエスは涙を流された。」の言葉を描いた見出し画像

おはようございます☀ はらぺこ僧侶です。

今日は8月13日、お盆ですね。

さっき窓を開けたら、もうセミの声がすごくて。

あ、この時期来たな……って、毎年ちょっと不思議な気持ちになります。

お盆になると、普段はそんなに思い出さないのに、急に亡くなった人のことがふっと浮かんでくる方、多いんじゃないかなと思うんです。

昔の写真とか。

好きだった食べ物とか。

何気なく流れてきた曲で、急に顔が浮かんだり。

もう何年も経ってるのに、

「あぁ、会いたいな」

って、突然なる。

そして、ちょっと寂しくなる。

実は私自身、お墓参りにも行けていない家族がいます。

行こう、行こうと思いながら、もう何年も経ってしまっていて。

だから今日書いてることは、ちゃんとできてる人からの正論じゃなくて、同じように立ち止まってる一人の言葉として読んでもらえたら嬉しいです。

私は、そういう時、無理に元気にならなくてもいいんじゃないかなって思うんです。

聖書の中に、すごく短いのに、なぜかずっと心に残ってる場面があります📖

イエスさんに、ラザロという親しい人がいたんですけど、その人が病気で亡くなってしまいます。

姉妹のマルタとマリアも悲しんでいたし、周りの人たちも泣いていました。

でもイエスさんは、この出来事が死で終わらないことを、すでに語っていました。

だったら、泣かないのかな。

私は一瞬、そう思うんです。

それでも。

「イエスは涙を流された。」

ヨハネの福音書 11章35節 新改訳2017

短いですよね。

でも、これってけっこうすごいことだと思うんです。

しかも同じ11章で、イエスさんはこう語っています。

「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」

ヨハネの福音書 11章25節 新改訳2017

希望を知っている。

死が最後ではないことも知っている。

それでも、泣いた。

希望を知っていることと、悲しくないことって、同じじゃないんだなって思うんです。

信仰があるから泣かない。

神様を信じてるから寂しくない。

いつまでも悲しんでるのは信仰が足りない。

そんなことを、イエスさんの姿は言ってない気がするんですよね。

むしろ、悲しんでる人たちのところに立って、ご自身も涙を流している。

「元気出して」

とも、

「神様の計画だから」

とも、そこで悲しみを急いで片づけたりしない。

ただ、そこにいる。

そして、泣いてる。

私はこの姿に、すごく救われるんです。

もちろん、ずっと悲しみの中に留まらなきゃいけない、って話でもなくて。

忘れられないことと、前に進めないことも、また別の話だと思うし。

人に話したっていい。

泣いたっていい。

助けてもらったっていい。

笑える日は、笑っていいんですよね。

大事なのは、

「もう悲しんじゃいけない」

って、自分を追い立てないことなのかもしれません😌

私も、お墓が遠いとか、なかなか行けないとか、いろんな理由をつけながら……

結局は、向き合うのがまだ怖いだけなのかもしれないなって、これを書きながら思いました。

たぶん私の中にも、まだ終わってない悲しみがあるんでしょうね。

ちなみに、お盆の考え方と、聖書が語る死や復活は同じものではありません。

だから、

「今日、亡くなった人が帰ってきます」

みたいなことは、私からは言いません。

でも、だからといって、大切だった人を思い出すことまで遠ざけなくていいと思うんです。

一緒に笑ったこと。

助けてもらったこと。

もっと話したかったこと。

言えなかった「ありがとう」。

今日は、そういうのを少し思い出してもいいのかなって。

寂しくなったなら、寂しいまま神様の前にいてもいいと思うし。

イエスさん自身が、墓の前で泣いてくださった方だから。

信仰って、涙がなくなることじゃなくて。

涙の中でも愛を失わないこと。

そして、

死だけが最後の言葉じゃないって、もう一度、希望のほうを向くことなのかもしれません🌿

今日、思い出す誰かがいる方へ。

無理に忘れなくていいし、無理に笑わなくてもいいです。

まだお墓に行けていない自分を、今日さらに責めなくてもいい。

でも、もし心のどこかに、

「いつか行きたいな」

って気持ちがあるなら、その気持ちまで閉じ込めなくてもいいのかなって思います。

私も、いつかちゃんと行こうと思います。

その人を愛した時間まで、悲しみだけの名前で呼ばないであげてくださいね。

そこには、ちゃんと一緒に生きた時間があるので。

主よ。

今日、大切な人を思い出している人のそばにいてください。

お墓参りに行けている人にも、まだ行けずにいる人にも、同じように寄り添ってください。

流れる涙を急いで止めるのではなく、その悲しみに、そっと寄り添ってください。

そして寂しさの中にいる時にも、

あなたが「よみがえり」であり、「いのち」であることを、静かに思い出させてください。

悲しみの中でも愛を失わず、

今日という命を生きていけますように。

皆様に主の祝福と平安がありますように🥰🙏

参照:ヨハネの福音書 11章35節・25節
翻訳:新改訳2017

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