
【新しくするって、捨てることじゃなかった】
おはようございます☀ はらぺこ僧侶です。
昨日の夜、ラジオの声を作るのに使っている「Irodori-TTS」ってソフトを、新しいバージョンに入れ替える作業をしてました🎧
私のラジオの声、実はこれで作ってるんです🤗♪
新しい機能が増えて、声ももっと自然になるらしくて。
それはそれで楽しみなんですけど……
こういう更新作業を始めると、私だいたい途中で不安になるんですよね😂
今まで作った設定、消えないよね? いつもの画面、使えなくなったりしないよね? 新しくした結果、前より面倒になったりしないよね?🤔
新しいものを楽しみにしてたはずなのに、気づいたら、古い環境を必死に守ろうとしてる自分がいました。
でも、ふと思ったんです。
新しくすることと、今までを捨てることって、同じじゃないんですよね👆
これまで試してきた設定。
何度も失敗しながら見つけた使い方。
少しずつ作ってきた声。
それって、新しいバージョンになったからって、急に無価値になるわけじゃ…ないんですよね。
むしろ、そこまで積み重ねてきたものがあるから、新しい道具を何に使えばいいか分かるんだと思います。
聖書の中で、イエスさんが弟子たちのことを、倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人にたとえた場面があるんです。
「こういうわけで、天の御国の弟子となった学者はみな、自分の倉から新しい物と古い物を取り出す、一家の主人のようです。」 (マタイの福音書13章52節・新改訳2017)
これって、古いものを全部捨てて新しいものだけ選びなさいっていう話では、なさそうなんですよね。
かといって、慣れてるからって理由だけで古いものにしがみついていい、って話でもなくて。
古いものにも、新しいものにも、今、愛のために使える宝がある。
大事なのはどちらかを否定することじゃなくて、倉を開けて、ちゃんと見分けることなのかもしれません。
人も、同じなのかもって思います。
新しい一歩を踏み出したからって、昨日までの自分を「間違いだった」って処分しなくていいんです。
あの時は分からなかったこと。
遠回りした時間。
うまくできなかった経験。
そこにも、今日の誰かを理解するための宝が、まだ残ってるかもしれません。
ただ……
「昔からこうしてきたから」っていう理由だけで、誰かを傷つける習慣まで守る必要はないんですよね。
残すべきものと、変えるべきもの。
その両方をちゃんと見分けながら、愛のために使えるものを取り出していけたらいいなと思います。
今日、新しいことを始める人も。
何かを変えようとしてる人も。
昨日までの自分を、全部否定しなくて大丈夫です。
新しい一歩に、これまで集めてきた宝も一緒に持っていきましょうね😊
皆様に主の祝福と平安がありますように🥰🙏
参照: マタイの福音書 13章52節
翻訳: 新改訳2017