Message朝のメッセージ

塩は、送れる自分でいたい。

参照:エペソ人への手紙6章12節
はらぺこ僧侶
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METANOIA

上杉謙信の『敵に塩を送る』逸話と、エペソ6章の神の武具から、戦いの中でも人そのものを敵にせず、平和の福音を履いて歩くことを考えます。

夜明けの空の下、ピンク髪のはらぺこ僧侶と上杉謙信をイメージした武将が御言葉を見つめ、中央にエペソ人への手紙6章12節と『塩は、送れる自分でいたい。』、手前に塩の器と白い鳩を描いた見出し画像

おはようございます☀\ はらぺこ僧侶です。

今朝は、まず一つの言葉から始めたいと思います。

「争うべきは弓矢にあり、米・塩にあらず。」

上杉謙信の言葉として、後世に伝えられているものです。

ちょっと…武骨で、かっこよすぎませんか😳⚔️

戦国時代。

武田信玄が、今川・北条による塩止めで苦境に立たされた時。

長年の宿敵だったはずの上杉謙信は、その塩止めには加わらず、越後から武田領へ塩が渡る道を閉ざさなかった。

そんな逸話が残っています。

今でも使われる、

「敵に塩を送る」

という言葉も、この話にちなむものとして知られています🧂

もちろん、後世によく語られるような、

「謙信が大量の塩を無償でプレゼントした」

というところまで、すべて史実として確認されているわけではありません。

でもね…

私は、この逸話に込められている考え方が好きなんです。

戦は、する。

でも、相手の生きる糧までは奪わない。

刀は交えても、人としての一線は越えない。

敵だからって、

何をしてもいいわけじゃない。

……なんか、すごくないですか。

でね。

昨日、私はエペソ人への手紙6章を読んでいました📖✨

有名な「神の武具」のところです。

真理の帯。

正義の胸当て。

信仰の盾。

救いのかぶと。

そして、御霊の剣。

全身武装です😂⚔️🛡️

文字だけ見ると、

「よし、戦うぞー!🔥」

って感じがするじゃないですか。

でも、読みながらちょっと不思議だったんです。

これだけ「戦い」の話をしているのに、

足に履くものは、

平和の福音の備え

なんですよね。

戦う準備なのに、

平和を履く。

ここで一回、ん?🤔ってなりました。

そして、その少し前にはこう書かれています。

「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。」

エペソ人への手紙 6章12節\ 新改訳2017

つまり、少なくとも。

目の前の人間そのものを敵にする話ではないんです。

ここ、すごく大事だと思うんですよね。

上杉謙信の逸話では、

戦う相手であっても、その人たちが生きるための塩までは断たなかった。

そしてパウロは、

私たちの戦いの相手は「血肉」ではないと、最初に線を引いている。

なんだか、この二つが私の中でつながったんです。

人間関係で腹が立った時。

意見が合わない時。

ひどいことを言われた時。

信仰の考え方が違った時。

SNSで、

「いや、それは違うやろ😑」

って思った時。

私たちって、気づかないうちに、

「あの人が敵だ」

ってなりやすいんですよね。

相手の言ったことが間違っている。

相手のしたことが許せない。

そこまでは、あると思うんです。

でも…

いつの間にか、

「その行動が間違っている」

から、

「その人そのものが間違っている」

に変わってしまう。

さらに、

「あんな人は痛い目を見ればいい」

「困ればいい」

「全部失えばいい」

ってところまで行ってしまったら…

たぶん、もう別の戦いになっちゃってるんですよね。

イエスさんも、こう言っています。

「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」

マタイの福音書 5章44節\ 新改訳2017

うーん…

まぁ…簡単じゃないですよね😅

いや、マジでw

「はい、分かりました🥰」

で出来るなら苦労しません😂

腹が立つものは腹が立つし。

傷ついたら痛い。

怖いものは怖いじゃん?

だから私は、

「敵を愛しなさい」

を、

「何をされても黙って耐えなさい」

という意味にはしたくないんです。

危険なら離れていい。

傷つけられているなら、助けを求めていい。

間違っていることには、

「それは違う」

って言っていい。

必要なら、

「NO」

って言っていい。

愛って、無抵抗になることでも、

自分を壊してまで相手に合わせることでもないと思うんです。

ただ…

相手の行動を拒否することと、

相手の存在そのものを憎むことは、

同じじゃない。

そこだけは、分けていたいなって思います。

上杉謙信の逸話では、

戦いをやめたわけじゃない。

でも、相手が生きるための道まで断とうとはしなかった。

イエスさんも、

罪や偽善、不正を曖昧にはしませんでした。

かなり厳しいことも言っています。

でも同時に、

罪人と呼ばれた人のところへ行き、

病んでいる人に触れ、

裏切った弟子を見捨てず、

十字架の上でさえ赦しを手放さなかった。

間違いを、

「まあいいよ」

と無かったことにする愛じゃない。

でも、その人まで捨ててしまう愛でもない。

戦いながら、赦す。

赦しながら、必要なら線も引く。

真実を言いながら、

相手の尊厳は奪わない。

うーむ…🤔

なんか、このバランスって。

言葉にすると綺麗なんですけど、

実際に生きるとなると、めちゃくちゃ難しいんですよね😅

だからこそ、

神の武具の「足」に、

平和の福音があるのかもしれません。

真理を身につける。

正義を胸に置く。

信仰の盾を持つ。

御言葉の剣も持つ。

でも、歩いていく足は、

平和を履いている。

なんか私は、そこがすごく好きです🕊️✨

本当に神様の武具を身につけていくなら、

強くなるほど、

人を憎むようになるんじゃなくて。

むしろ強くなるほど、

人を敵にしなくなっていく。

そんな生き方なのかもしれません。

今日もし、

誰かの言葉に、

「むっ😑」

ってなることがあったら。

すぐ反撃する前に、

一回だけ考えてみようかなと思います。

私は今、

この人の「したこと」と戦っているのか。

それとも、

この人そのものを敵にしてしまっているのか。

必要なら距離を取る。

必要なら「NO」と言う。

必要なら、はっきり真実を伝える。

でも…

その人が生きるための塩まで、

奪う自分にはならない。

塩は、送れる自分でいたい。🧂🫶

平和の福音を履いたまま、

今日も歩いていきます👟🕊️✨

皆様に、主の祝福と平安がありますように🙏

今日もゆっくりまったり、

良い一日を🥰☀️🙏

参照:エペソ人への手紙6章12節
翻訳:新改訳2017

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