Message朝のメッセージ

届いたかどうかは、すぐには分からない

参照:ヨハネの福音書 1章23節
はらぺこ僧侶
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METANOIA

届いたかどうかって、本当にすぐ分かるのかな。荒野で声を置いたバプテスマのヨハネから、反応とことばの意味について考えます。

朝焼けの荒野を背景に立つ人物と「届いたかどうかは、すぐには分からない」「ヨハネの福音書 1章23節 新改訳2017」の文字が描かれた画像

おはようございます☀ はらぺこ僧侶です。

昨日公開した「幸せ解体新書ラジオ」で、

「自由って、何でもできることなのかな?」

っていう話をしました。

自分では自由に選んでるつもりでも、実は何かに支配されていたり。

逆に、

「やらなくても平気」

っていうのも、ひとつの自由なんじゃないかって。

でね…

その話をしたあと、なんとなくもう一つ考えてたことがあります。

私たちって、

「自由に何かをする」

だけじゃなくて、

「その結果がどう返ってくるか」

にも、けっこう縛られてるんじゃないかなって。

特にSNSなんて、すごいですよね。

何か書いたら、すぐ数字が出る。

何人見た。 何人いいねした。 何人反応した。

こっちはまだコーヒー飲んでる途中なのに…

もう判定されてる😂

で、反応が少ないと、

「あぁ…届かなかったんだな」

って、なんとなく思っちゃうことがあります。

でも最近…

届いたかどうかって、本当にすぐ分かるのかなって思うんです。

聖書に、バプテスマのヨハネという人が出てきます📖

人々はヨハネに、

「あなたは誰ですか」

と何度も尋ねます。

キリストなのか。

エリヤなのか。

預言者なのか。

でもヨハネは、自分を大きな何者かとして説明しませんでした。

そして最後に、自分のことをこう答えます。

「私は、預言者イザヤが言った、『主の道をまっすぐにせよ、と荒野で叫ぶ者の声』です。」

ヨハネの福音書 1章23節 新改訳2017

なんか…

「声です」

って、すごいなと思うんです。

名前でもない。

肩書きでもない。

自分がどれだけすごいかでもない。

自分の声の先にいる方を指している。

しかも、その場所は「荒野」です。

荒野って、声を出したからって、

「聞きました!」

って、すぐ返事が返ってくるような場所じゃないですよね。

それでもヨハネは、声を置いた。

もちろんこれは、

「反応なんて全部気にしなくていい」

って話ではないと思います。

伝わらなかったなら、言い方を考え直すことも必要です。

誰かを傷つけたなら、

「私は正しいことを言ったから」

で済ませちゃいけない。

でも…

反応が少なかったことと、

その言葉に意味がなかったことは、

同じじゃない。

今日置いた言葉を、誰かが今日受け取るとは限らないんですよね。

明日かもしれない。

ずっと後かもしれない。

もしかしたら、こちらには最後まで分からないかもしれない。

だから私は…

「どれだけ反応されたか」

だけじゃなくて、

「私は何を指し示す声だったんだろう」

って考えていたいなと思います。

自分を大きくする声だったのか。

誰かを負かす声だったのか。

それとも…

誰かがもう一度、愛のほうを向くための声だったのか。

荒野でいい。

小さな声でもいい。

大きな反響がなくてもいい。

今日、誰か一人にちゃんと渡したい言葉があるなら…

その言葉を、ひとつ置いてみませんか😌

届いたかどうかは、

すぐには分からないのだから。

皆様に主の祝福と平安がありますように🥰🙏

参照:ヨハネの福音書 1章23節
翻訳:新改訳2017

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