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なぜ、私は伝えたいんだろう。

参照:ルカの福音書23章42–43節
はらぺこ僧侶
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METANOIA

クリスチャンの勉強会で「伝道」について考えた朝。自分の力では人生を取り返せなくなった「罪人X」と十字架上の約束から、なぜ私は福音を伝えたいのかを考えます。

ルカの福音書23章42–43節の「今日、あなたは わたしとともに」を大きく配置し、古代ユダヤの風景と三つの十字架、当時の装いのはらぺこ僧侶を描いた朝Message見出し画像

おはようございます☀ はらぺこ僧侶です。

昨日、とあるクリスチャンの勉強会に参加しました。

テーマは「伝道」。

……この二文字だけで、ちょっと身構える人もいるんじゃないでしょうか😅

特に、宗教を持っていない人からすると、

「勧誘されるのかな」 「信じろって言われるのかな」 「いや、私は別に困ってないし」

って、できれば避けたい話題かもしれません。

私も、なんかわかるんです。

だって「伝道しなきゃいけないから伝える」って、それだけだと私はあまりピンとこない。

じゃあ、なんで私はイエスさんのことを伝えたいんだろう。

昨日、その話を聞きながら考えていました。

昔の私は、かなり「自分」で生きていました。

自分で考える。 自分で決める。 自分でどうにかする。

大げさに聞こえるかもしれないけど、自分の人生の中では、自分が神みたいなものだったのかもしれません。

自分さえしっかりしていれば、なんとかなる。

そう思っていたんだと思います。

でも、人ってずっと同じ強さではいられないんですよね。

私は弱くなりました。

身体も、できることも、以前とは変わりました。

もちろん、今すごく元気で、仕事もできて、自分の力で人生を切り開いている人に、

「あなたもそのうち弱るから」

なんて言いたいわけじゃありません。

それじゃ脅しです😂

福音って、そんな未来の不幸を材料にして信じさせるものじゃないと思う。

ただ私は、自分の力だけではどうにもならない場所に立ってみて、初めて見えたものがありました。

今、『罪人X - Remember Me -』という曲を作っています。

モデルにしているのは、イエスさんが十字架につけられたとき、その隣で十字架につけられていた一人の犯罪人です。

名前は聖書に書かれていません。

だから、罪人X。

この人のことを考えていると、なんとも言えなくなるんです。

彼は自分のしたことをなかったことにはしません。

もう一人の犯罪人に、自分たちは自分のしたことの報いを受けている、と話します。

言い訳しない。

そして私の曲では、こう歌っています。

「I can't undo I can't repay」

戻せない。 償いきれない。

しかも彼には、明日から人生をやり直す時間すらありません。

「これから善い人になります」 「失ったものを取り返します」 「迷惑をかけた人に謝って回ります」

それさえ、もうできない。

十字架の上です。

人生のほとんど全部を、自分の力では取り返せないところまで来ている。

だから曲の中では、

「No future left No deed to prove」

と歌っています。

未来もない。 自分を証明する行いも、もう残っていない。

そんな彼が、隣にいるイエスさんに言います。

「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」

ルカの福音書23章42節 新改訳2017

すごく小さな願いに見えます。

助けてくれ、でもない。

十字架から降ろしてくれ、でもない。

人生をやり直させてくれ、でもない。

ただ、

私を忘れないで。

そしてイエスさんは答えます。

「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

ルカの福音書23章43節 新改訳2017

これを曲にしたとき、最後に残った言葉がありました。

「Today — not someday With Me — not alone」

いつか、じゃない。

今日。

一人で、じゃない。

わたしとともに。

そして、

「Grace did not wait For a better me」

恵みは、 もっと良い自分になるまで待たなかった。

私はこの犯罪人と同じ人生を歩んだわけではありません。

彼の苦しみを知っている、なんて言うつもりもない。

でも、自分の力だけではどうにもできない場所に立つ、ということの一部なら、以前より少しだけ知っています。

それでも私は今、生きています。

この身体になっても、希望があります。

できなくなったこともあるし、失ったものもある。

それでも「もう終わった」とは思っていません。

むしろ不思議なんです。

自分の力をあんなに信じていた頃より、自分の力だけでは立てなくなった今のほうが、希望という言葉を本気で使える。

そしてネットを見ていると、また考えてしまいます。

身体は元気そうで、仕事にも行っていて、普通に笑って生活しているように見える。

でも、その内側ではもう疲れきっている人がいる。

「もう無理だ」 「何のために生きてるんだろう」 「生きることに疲れた」

そんな言葉は、珍しくありません。

そこで昨日の問いに戻りました。

なんで私は伝えたいんだろう。

正直、道を歩いている全く知らない人を捕まえて、

「イエスさんを知ってください!」

ってやりたいわけではないんです😂

人を言い負かしてクリスチャンにしたいわけでもない。

人数を増やしたいわけでもない。

ただ……

もし、自分にはもう何も残っていないと思っている人がいたら、

私は知っていることを隠したくないんだと思います。

自分の力がなくなっても、希望までなくなるとは限らない。

人生を全部きれいにできなくても、人間として消えるわけじゃない。

過去を消せなくても、その過去だけがあなたの名前になるわけじゃない。

『罪人X』の中では、

「Mercy won't erase me

罪人X Still human」

と歌いました。

赦しは、過去を消す消しゴムじゃない。

でも、罪だけをその人の名前にもしない。

そしてイエスさんは、人生を立て直す時間さえ残っていなかった一人の人間に、

「もっと良い人になったら」

とは言わなかった。

今日。

わたしとともに。

そう言った。

たぶん……

これが、私が伝えたい理由なんだと思います。

伝道って、誰かを無理に信じさせることじゃない。

少なくとも私は、

自分が見つけた希望の在り処を、隠さないこと。

そこから始めたい。

今、その希望を必要としていない人なら、それでいいと思います。

でもいつか、自分の力だけではどうにもならない夜が来たとき。

あるいは、今まさにその夜の中にいる人がいたとき。

「あなたは、まだ終わってないよ」

って言える場所を、私は残しておきたい。

罪人Xには名前が残りませんでした。

でも、イエスさんの隣にいたことは残りました。

そして二千年近く経った今も、私たちは彼の声を読んでいます。

「私を思い出してください。」

私はたぶん、

その声にイエスさんが返した言葉を伝えたいんです。

Today.

With Me.

今日も皆様に主の祝福と平安がありますように🥰🙏

良い一日を☀️

参照:ルカの福音書23章42–43節
翻訳:新改訳2017

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