Message朝のメッセージ

まだ見えなくても、信じて歩く。

参照:使徒言行録3章6節
はらぺこ僧侶
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METANOIA

ダンピング、肺炎、胸膜炎、左目の一時的な視覚症状を経験し、祈りと検査を重ねた日々から『信じる』ことを考えます。使徒言行録3章6節と、未来の点を信じて歩くという視点から、今日できる一歩へ。

朝の光の中で手を差し出すピンク髪のはらぺこ僧侶と、使徒言行録3章6節『立ち上がり、歩きなさい。』を主役にした見出し画像

おはようございます☀ はらぺこ僧侶です。

……って言いながら、もう朝というにはちょっと遅い時間になってしまいました😅

おはようございますというより、「まだ午前中だからセーフです」って言い張りたい時間です。

今日は、最近ずっと心に残ってる御言葉から始めたくて。

なんて言うか、「そのままでいいよ」って優しく肩を叩くような言葉じゃなくて、

「ちゃんと立ち上がって、歩いていきなさい」

って、背中を押されるような言葉なんですよね。

「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

使徒言行録 3章6節 新共同訳

昨日、教会でもこの箇所を読んでいたんですけど、なんかね……

この「立ち上がり、歩きなさい」が、今の私には妙に響いたんです。

というのも、ここ最近の私は、身体のことで結構いろいろありました😅

胃を全摘しているので、食べるとダンピングが起きることがあるんですけど、それだけでも、

「人体ってこんなに繊細なのね」

って思ってたら、そこから肺炎になって、胸膜炎になって……

さらに左目が突然見えなくなって、脳梗塞まで疑われました。

こうして並べると、なんというか、設定盛りすぎの主人公みたいで😅

「次のイベント、もういらんからね」

って本気で思いました。

でもその間、Facebookでも教会でも、本当にたくさんの方が祈ってくれたんです🙏

一度だけじゃなくて、何度も、根気強く。

私自身も祈りました。

そしてある時から、

「治るかな」

だけじゃなくて、

「イエスさんを信じよう」

って思うようになって、もっと言えば、

「治してください」

と願いながら、

「治る。いや、もう治り始めている」

って信じるようになったんです。

……文章にすると、なんかちょっとファンタジーですよね😅

光が差してきて、後ろで壮大なBGMが流れてきそうです。

でも実際には、そんな劇的なことはありませんでした。

普通に病院へ行って、CTもMRIも受けて、心臓も首の血管も調べてもらいました。

信じたから病院へ行かなかったわけじゃないんです。

ここ、すごく大事だと思っていて。

信仰は、検査をしない理由でも、薬をやめる理由でもないんですよね。

私は祈って、信じて、そのうえで調べてもらいました。

すると、少なくとも今回詳しく調べてもらった範囲では大きな異常は見つからず、肺炎や胸膜炎も回復していて、左目の件も心配していたような大きな異常は確認されませんでした。

もちろん、

「だから全部奇跡です」

って、医学的なことまで私が決めつけるつもりはありません。

お医者さんには、お医者さんの領域がありますから。

でも私自身の中では、祈ってくれた人たちの顔と、何度も祈った時間と、

「大丈夫、イエスさんを信じよう」

って思った時間と、検査結果を聞いた瞬間が、全部つながってる感覚があるんです😌🙏

そこで今日考えたのが、

「信じるって、何なんだろう」

ってことでした。

信仰とは少し違う文脈なんですけど、Appleをつくったスティーブ・ジョブズが、2005年にスタンフォード大学の卒業式で、人生の「点」について話しています。

未来を見ながら点をつなぐことはできない。

あとから振り返った時に、初めて「あの出来事は、ここにつながっていたんだ」って分かる。

だから、その点がいつかつながると信じて進むしかない。

そんな趣旨の話です。([news.stanford.edu](https://news.stanford.edu/stories/2005/06/youve-got-find-love-jobs-says?utm_source=chatgpt.com))

これ、私は結構好きなんですよね😊

だって私たちは、未来を確認してから信じることなんてできないから。

結果を全部見せてもらってから、

「はい、信じます」

っていうのは……

もうそれ、信じてるというより確認してるだけですよね😅

信じるっていうのは、まだ全部見えていない時にするものなんだと思います。

でも、ここでも勘違いしたくなくて。

「信じれば何でも思い通りになる」

って話じゃないんです。

病気になった人に、

「信仰が足りなかったから治らなかった」

なんて、絶対に言いたくありません。

それは違うと思うんです。

ペトロが、

「立ち上がり、歩きなさい」

と言ったこの場面も、

「人間が強く思い込めば何でも実現する」

って話じゃなくて、中心にあるのは、

「ナザレの人イエス・キリストの名によって」

なんですよね。([bible.com](https://www.bible.com/ja/bible/1819/ACT.3.%E6%96%B0%E5%85%B1%E5%90%8C%E8%A8%B3?parallel=83&utm_source=chatgpt.com))

ペトロ自身の能力でも、病人のポジティブ思考でもなく、イエスさんです。

だから私にとっての「信じる」は、

「絶対こうなる」

って未来を自分の力で握りしめることじゃなくて、

まだ分からないところがあっても、

「私はイエスさんを信じます」

って、一歩を預けることなんだと思います🙏

そしてもう一つ。

ペトロは、言っただけじゃないんですよね。

その直後に、この人の右手を取って立たせています。

ここ、好きなんです。

御言葉を語って終わりじゃなくて、ちゃんと手を取っている。

そして、その人は立ち上がって、歩き始めます。([bible.com](https://www.bible.com/ja/bible/1819/ACT.3.%E6%96%B0%E5%85%B1%E5%90%8C%E8%A8%B3?parallel=83&utm_source=chatgpt.com))

信じるって、心の中だけで完結しないんだなって思うんです。

祈ったら病院へ行く。

回復を信じたら、今日できることをする。

誰かのために祈ったら、その人の手も取る。

怖くても、一歩だけ歩いてみる。

未来の全部が見えなくても、今日の一歩は踏み出せる。

それでいいんじゃないかな😊

私もまだ途中です。

胃はありません😅

身体のことだって、これからもちゃんと診てもらいます。

でも、

「また何か起きるかもしれない」

っていう恐れだけを見ながら生きるんじゃなくて、

今日ここに生きていることを受け取って、イエスさんを信じて、今日できる一歩を歩いてみようと思います。

もしかしたら何年か後、振り返った時に、

「あぁ、あの時の祈りも、あの検査も、あの怖かった夜も、ここにつながっていたんだ」

って分かるのかもしれません。

今はまだ、全部の点はつながっていません。

それでも……

私は、信じて歩いてみます😊🙏

今日、何かが怖くて立ち止まっている方がいたら、無理に強くならなくていいです。

「絶対大丈夫」

って、自分に言い聞かせなくてもいい。

必要なら病院へ行って、誰かに相談して、助けてもらってください。

そのうえで、今日できる小さな一歩だけ、一緒に探してみませんか😊

それは、立ち上がることかもしれないし、

電話を一本かけることかもしれないし、

誰かに「助けて」って言うことかもしれません。

あるいは、

「今日は休む」

って決めることかもしれません。

そして祈れるなら、

「イエスさん、私はまだ全部分かりません。でも、あなたを信じます」

それだけでもいいんじゃないかな🙏

病の中にいる方に癒やしがあり、

不安の中にいる方に平安があり、

立ち上がれないほど疲れている方には、支えてくれる誰かの手がありますように。

そして、その手を必要としている誰かに気づいた時には、私たちもペトロのように、言葉だけじゃなく手を差し出せますように。

今日という一日が、恐れによって閉じる一日じゃなくて、

まだ見えていない未来へ、小さな一歩を置く一日になりますように🙏

今日も、無理せずゆっくりいきましょうね😊☀️

参照:使徒言行録3章6節
翻訳:新共同訳

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