
「ギザギザハートの子守唄」って、覚えてますか?
おはようございます☀ はらぺこ僧侶です。
昨日の夜、食器洗いをしながらなんとなく鼻歌を歌っていたら、なんかこの曲が出てきていたんですよね〜🤔
懐かしいなぁと思いながら聴き返していたら、なんだかやたら胸に刺さる曲だなって、今更ながら気づきました😅
ギザギザに尖った心の歌なんですよね、あれ。
本当は誰かを傷つけたいわけじゃないのに、気づいたら近くにいる人にまできつく当たってしまう。
本当は分かってほしいのに、それを素直に言葉にできなくて、また強がってしまう。
「わかってくれとは言わないが〜😭」
そういう不器用さが、ずっと流れているんです。
これ、私だけじゃないと思うんですよね。
余裕がない時って、大事にしたいと思ってる人にほど、つい尖った言い方をしてしまったりしませんか。
言われた方はびっくりするし、言った自分もあとで、
「あー…なんであんな言い方したんだろう」
ってなる。
でも止まらない時、あるんです。
心理学では、脅威を感じた時に、防御的な反応が出ることがあるそうです。
これ以上傷つきたくなくて、先に固くなる。
先に強く反応することで、自分を守ろうとする。
だから、尖ってる時って、ただ悪気があるというより、心に余裕がなくなってることもあるんじゃないかなって思います。
そんなことを考えていたら、イエスさんの言葉を思い出しました📖
「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
マタイの福音書 11章28節 新改訳2017
これ、何度読んでも不思議だなって思うんです。
「尖ってるところを直してから来なさい」
とは言ってない。
「ちゃんと言葉にできるようになってから来なさい」
でもない。
まず、
「来なさい」
なんですよね。
疲れたまま。
うまく説明できないまま。
強がったまま。
なんか、子守唄みたいだなって思いました😌
眠れない子に、
「ちゃんと寝なさい」
って言っても、たぶん余計に眠れないじゃないですか。
必要なのは、安心して力を抜ける場所だったりするのかなって。
心も同じで、無理やり丸くしようとするより先に、一回休ませてあげる場所があるのかも…
しれません。
そうしたら少しずつ、
「あぁ、私、疲れてたんだ」
って、自分でも気づけたりするんじゃないかなと思います。
今日もし、心がちょっとギザギザしていたら。
無理に丸くしなくていいので、まず、
「疲れてたんだな」
って、自分にだけでも気づいてあげてください🙏
皆様に主の祝福と平安がありますように🥰🙏
今日もゆっくりまったり、良い一日を☀️
参照:マタイの福音書11章28節
翻訳:新改訳2017