Message朝のメッセージ

ギザギザハートの子守唄

参照:マタイの福音書11章28節
はらぺこ僧侶
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METANOIA

「ギザギザハートの子守唄」を聴き返した夜。尖った言葉の奥にある疲れや防御に気づき、マタイ11章28節の「来なさい」から、心を無理に丸くする前に休むことを考えます。

暗い夜明けの空を背景に、ギザギザした光のハートと「ギザギザハートの子守唄」、マタイの福音書11章28節の御言葉、ピンク髪のはらぺこ僧侶を描いた見出し画像

「ギザギザハートの子守唄」って、覚えてますか?

おはようございます☀ はらぺこ僧侶です。

昨日の夜、食器洗いをしながらなんとなく鼻歌を歌っていたら、なんかこの曲が出てきていたんですよね〜🤔

懐かしいなぁと思いながら聴き返していたら、なんだかやたら胸に刺さる曲だなって、今更ながら気づきました😅

ギザギザに尖った心の歌なんですよね、あれ。

本当は誰かを傷つけたいわけじゃないのに、気づいたら近くにいる人にまできつく当たってしまう。

本当は分かってほしいのに、それを素直に言葉にできなくて、また強がってしまう。

「わかってくれとは言わないが〜😭」

そういう不器用さが、ずっと流れているんです。

これ、私だけじゃないと思うんですよね。

余裕がない時って、大事にしたいと思ってる人にほど、つい尖った言い方をしてしまったりしませんか。

言われた方はびっくりするし、言った自分もあとで、

「あー…なんであんな言い方したんだろう」

ってなる。

でも止まらない時、あるんです。

心理学では、脅威を感じた時に、防御的な反応が出ることがあるそうです。

これ以上傷つきたくなくて、先に固くなる。

先に強く反応することで、自分を守ろうとする。

だから、尖ってる時って、ただ悪気があるというより、心に余裕がなくなってることもあるんじゃないかなって思います。

そんなことを考えていたら、イエスさんの言葉を思い出しました📖

「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

マタイの福音書 11章28節 新改訳2017

これ、何度読んでも不思議だなって思うんです。

「尖ってるところを直してから来なさい」

とは言ってない。

「ちゃんと言葉にできるようになってから来なさい」

でもない。

まず、

「来なさい」

なんですよね。

疲れたまま。

うまく説明できないまま。

強がったまま。

なんか、子守唄みたいだなって思いました😌

眠れない子に、

「ちゃんと寝なさい」

って言っても、たぶん余計に眠れないじゃないですか。

必要なのは、安心して力を抜ける場所だったりするのかなって。

心も同じで、無理やり丸くしようとするより先に、一回休ませてあげる場所があるのかも…

しれません。

そうしたら少しずつ、

「あぁ、私、疲れてたんだ」

って、自分でも気づけたりするんじゃないかなと思います。

今日もし、心がちょっとギザギザしていたら。

無理に丸くしなくていいので、まず、

「疲れてたんだな」

って、自分にだけでも気づいてあげてください🙏

皆様に主の祝福と平安がありますように🥰🙏

今日もゆっくりまったり、良い一日を☀️

参照:マタイの福音書11章28節
翻訳:新改訳2017

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