今朝、目覚まし前に布団の中でぼーっとしてたら、ふと気になっちゃって……
おはようございます☀️ はらぺこ僧侶です。
いま私、『SKY BUMP: BABEL』っていう激ムズゲームの挑戦イベントをmixi2でやってるんですけど、これがもう、ひたすら上へ上へ。
あ、ちなみに私がAIで作ったオリジナルゲームです🥰
落ちても落ちても、また登るだけのゲームなんです😂
舞台は、聖書に出てくる「バベルの塔」。
せっかくだから今朝は、宣伝…じゃなく🤣 久しぶりに創世記を開いて、バベルの塔そのものをちゃんと読んでみたんです📖
バベルの塔って、
「人間が神様に近づこうとして高い塔を建てたから、怒られて壊された」
みたいなイメージ、ありません?
ゲームなんかでも、よくモチーフにされていますよね🎮
私も正直、なんとなくそんな話だと思っていました。
でも創世記11章、ちゃんと読むとちょっと違うんですよね…
面白いのが、彼ら自身が「なぜ塔を建てるのか」を、自分たちの口で言ってるところなんです。
それって、
「神様に会いたいから‼️」
……とは書かれていないんですよ。
自分たちの名前を残したい。
そして、バラバラになりたくない。
そういう、けっこう人間くさい理由なんです。
『名をあげよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから。』
創世記11章4節 新改訳2017
つまりバベルの塔って、ただ高い場所を目指した話というより、
「これさえあれば大丈夫」
って思える何かを、自分たちで作ろうとした話……
そんなふうにも読めるんですよね。
自分たちの技術。
自分たちの都市。
自分たちの名前。
それをどんどん積み上げていく。
それに「散らされたくない」って、よく考えるとちょっと不思議なんです。
ただ有名になりたいだけじゃなくて、離れたくない。
一つの場所に集まって、一つの名前を持って、一つの力で生きていきたい。
そんな不安みたいなものも、この言葉の中には見える気がします🤔
しかも面白いのが、その次。
人間は、
「天まで届く塔を建てよう!」
って言ってるのに、神様はその町と塔を見るために……
降りて来るんです😂
天まで届くはずなのに、神様のほうが降りてくる。
これ、物語としてちょっと皮肉が効いてますよね。
人間から見たら、
「とんでもなく大きなものを作ったぞ!」
なんだけど、
神様から見たら、わざわざ降りて見に来るくらいのもの。
創世記って、こういうちょっと面白い描き方もするんですよね。
そして個人的に、もう一つびっくりしたことがありました。
聖書には、
「神様がバベルの塔を壊した」
とは書かれていないんです。
書かれているのは、ことばが通じなくなり、人々が地の全面へ散らされて、
「彼らはその町を建てるのをやめた」
ということ。
私たちがよく知っている「崩れ落ちるバベルの塔」のイメージと、実際に書かれていることって、ちょっと違うんですよね。
止められたのは塔そのものというより、人々が進めていた計画だった。
……で。
自分で『SKY BUMP: BABEL』なんてゲームを作っておきながら、ここでちょっと考えちゃったんですよね🤔
上を目指すことって、悪いことなんでしょうか。
もっと上手くなりたい。
記録を更新したい。
いいものを作りたい。
誰かに見てもらいたい。
これ全部ダメだったら、
「一番高く登った人が優勝!」
ってイベントやってる場合じゃありません😂
でも、たぶんそこじゃないんです。
どこまで登ったかより、何のために登っているのか。
ここがポイントなんじゃないかなと思いました。
実はこのバベルの話、創世記11章だけで終わらないんです。
そのすぐ後、創世記12章からアブラムの物語が始まります。
バベルの人たちは、
「自分たちの名をあげよう」
と言いました。
ところが神様はアブラムに、
『あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。』
と語ります。
創世記12章2節 新改訳2017
ここ、すごく対照的だと思うんです。
自分たちで自分たちの名を大きくしようとしたバベル。
神様から祝福され、名を大いなるものとしていただき、自分自身も誰かへの祝福となっていくアブラム。
「大きくなるな」でもない。
「有名になるな」でもない。
「何も成し遂げるな」でもない。
むしろ私は、
その大きさが、自分の名前だけで終わっていないか。
そこを問われているような気がしました。
だからゲームでは……
遠慮なく頂上を目指してください🤘🤣
9月30日18時まで、mixi2で『SKY BUMP: BABEL』挑戦イベント開催中です🎮🔥
期間中、一番高い地点まで登った優勝者には、
あなただけの「はらぺこ僧侶オリジナルソング」をお作りします🎵
ゲームの中では、誰よりも高く。
落ちても、また登る。
また落ちても、また登る😂
でもゲームを閉じたあと、ちょっとだけ考えてみたいんです。
今、自分が積み上げているものの一番上に、
何を置こうとしているんだろう。
「私の名前」なのか。
それとも、
「誰かへの祝福」なのか。
高く登ることは、たぶん悪くありません。
能力があることも。
力を合わせることも。
大きなものを作ることも。
創世記11章を読んでいて怖いなと思ったのは、人間の力が大きくなったことそのものより、その力がいつの間にか
「自分たちの名のために」
へ向かっていたことでした。
だから今日は、上を目指していいと思います。
昨日より少し成長してもいい。
夢中になって何かを作ってもいい。
私も作ります😂
ただ時々、
「これ、誰かの祝福になってるかな?」
って確認してみる。
バベルを建てているのか。
祝福を建てているのか。
外から見たら、同じくらい高い塔かもしれません。
でも、その頂上に置かれているものは、きっと全然違う。
今日も皆様に主の祝福と平安がありますように🥰🙏
そしてSKY BUMPの挑戦者の皆さま……
容赦なく頂上、目指してくださいね🤣🔥
良い一日を☀️
参照:創世記11章4節/創世記12章2節
翻訳:新改訳2017