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明日の私は、まだいない。

参照:マタイの福音書6章34節
はらぺこ僧侶
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METANOIA

漫画『亜人』の『同じ記憶を持つ新しい自分は、本当に自分なのか』という問いから、まだ来ていない明日の苦労を今日から背負わないことを考えます。

黒い幽霊を背に、永井圭、佐藤、ピンク髪のはらぺこ僧侶が並ぶ劇的な縦長ポスター。『明日の私は、まだいない。』とマタイの福音書6章34節を大きく配置した見出し画像

おはようございます☀ はらぺこ僧侶です。

昨日、気づいたら深夜まで、AIとずっと変な話をしてました😂

「自分って、どこまでが自分なんだろう」

そんな話です。

途中から自分でも、

え、なんでこんな哲学みたいな話に、こんな本気になってるんだろ😂

って、ちょっと笑っちゃいました。

こういう話をしていると、必ず思い出す漫画があります。

『亜人』。

ここからちょっとだけネタバレ入ります⚠️

『亜人』に出てくる亜人は、見た目も暮らしも普通の人と変わりません。

でも、死ぬと身体が再生する。

それまで自分が亜人だと知らなかった人でも、一度死んで生き返ってしまえば、そこで正体が分かってしまいます。

主人公の永井圭くんも、もともとは医者を目指していた高校生でした。

ところがある日、トラックにはねられます。

誰が見ても助からないような事故。

なのに……

圭くんは、生き返ってしまう。

その瞬間、自分が亜人だったことを知ります。

そこから、それまでの日常が一気に崩れていくんです。

そして圭くんの前に現れるのが、佐藤という人物です。

佐藤も亜人なんですけど、圭くんとはまったく違う人物です。

亜人の権利や人間への復讐を掲げながら、大規模なテロを起こしていく。

しかも物語が進んでいくと、どうもそれだけが目的じゃなさそうに見えてくる。

かなり……怖い人です😨

その佐藤が、圭くんにものすごく嫌な問いを投げかける場面があります。

もし、首から上を切り離されたらどうなるのか。

身体のほうには、新しい頭が再生する。

記憶もある。

性格もある。

見た目も同じ。

新しく再生した本人からすれば、

「自分は自分だ」

と思うはずです。

でも……

切り離される前の「今の自分」の側から考えたら、どうなんでしょう。

自分と同じ記憶を持った、新しい頭。

それを、

「はい、これからも私です」

って言えるんでしょうか。

なんか……

嫌な問いですよね😨

『亜人』ってバトル漫画のはずなのに、突然こういう哲学をぶん投げてくるんです😂

初めて読んだ時、普通にゾワッとしました。

それで昨日、AIと似たような話をしてたんです。

もし私とまったく同じ記憶、同じ身体、同じ考え方を持った人が、もう一人いたとして。

その瞬間までは、何もかも同じ。

でも、

一人が右へ行って。

もう一人が左へ行ったら。

その瞬間から、別々のものを見る。

別々の音を聞く。

別々のことを考える。

そこで記憶は、もう完全には同じじゃなくなります。

だったら、その二人はどこから「別の人」になるんだろう。

そんな話をしていました。

で、そこまで話していて、ふと思ったんです。

なんか私たち、

「明日の自分」

のことを、今の自分みたいに扱いすぎてないかなって。

明日の私は、まだ今日を経験していません。

明日の天気も見ていない。

明日会う人にも会っていない。

明日起きる問題も、まだ起きていない。

なのに今日の私は、

「明日こうなったらどうしよう」

「失敗したらどうしよう」

「こう言われたらどうしよう」

って。

まだ経験してもいない明日の苦労を、今日のうちから先に背負ってしまうことがあります。

そう考えると、イエスさんのこの言葉って、なかなかパンチが効いてるんですよね📖

『ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。』

マタイの福音書6章34節 新改訳2017

このあとイエスさんは、明日の心配は明日に任せ、その日の苦労はその日に十分ある、と語ります。

これ、

「明日のことなんて考えるな」

って話ではないと思うんです。

台風が来るなら備える。

水も準備する。

飛びそうなものも片付ける。

スマホも充電する😂

備えることは大事です。

でも……

備えることと、明日の苦労を今日から経験することは、違う。

ここ、私は分けたいんです。

予定は立てる。

必要な準備もする。

でも、

まだ起きていない失敗で、今日から落ち込まない。

まだ言われていない言葉で、今日から傷つかない。

まだ起きていない問題と、今日から頭の中で戦い始めない。

だってそれ……

今日の私が、明日の私の仕事まで勝手にやってるんですよ😂

働きすぎです。

明日の私は、明日になったらちゃんと現れます。

その時には、その時にしか見えないものがあります。

今日には分からなかったことが、分かっているかもしれない。

状況だって変わっているかもしれない。

今日の私が頭の中で作った最悪の未来なんて、そもそも来ないかもしれない。

そして何より。

明日の私は、今日の私とまったく同じ「私」なのか。

『亜人』みたいに考え始めると、もう私には答えが分かりません😂

でも、一つだけ分かることがあります。

明日の私には、今日の私にはまだ見えていないものが見えている。

そして……

その明日にも、イエスさんはいる。

今日だけ一緒にいて、

日付が変わった瞬間に、

「じゃ、ここから一人で頑張ってね👋」

って帰っちゃう方じゃないんですよね😂

だから、明日の苦労まで今日持ってこなくてもいいんだと思います。

逆に、昨日もそうです。

昨日失敗したなら、今日できる償いや修正はする。

謝るなら謝る。

壊したものがあるなら、できる限り直す。

責任まで、

「昨日の私だから知りません😂」

にはできません。

そこはダメです。

でも……

責任を取ることと、昨日の自分を今日一日ずっと裁き続けることも、同じじゃない。

昨日の失敗から学ぶことはできる。

でも昨日そのものへ戻って、やり直すことはできません。

昨日は昨日。

明日は明日。

そして、

今ここで生きられるのは、今日だけです。

『亜人』の、

「同じ記憶を持つ新しい自分は、本当に自分なのか」

なんて話から始まったのに。

最後はものすごく普通のところに着地しました😂

でも、たぶんこういう普通のことって、意外と難しいんですよね。

今日の私は、今日の人を大切にする。

今日やるべきことをやる。

今日謝ることがあるなら謝る。

今日疲れていたら、ちゃんと休む。

今日できる備えをして。

それでも明日の仕事が頭の中に勝手に入ってきたら、

「あ、それ明日の担当です😂」

って、そっと返してみる。

明日の私に、明日を任せる。

大丈夫。

明日の私がそこに着く頃にも、

イエスさんはちゃんとそこにいてくれるから😊

イエスさん。

昨日に縛られている時には、今日へ戻してください。

まだ来ていない明日を怖がっている時には、今日与えられているものに気づかせてください。

必要な備えをする知恵と、

まだ背負わなくていいものを手放す勇気をください。

昨日から学びながら、

明日を先取りして怖がらず、

今日という一日を、今日ちゃんと生きられますように🙏

皆様に主の祝福と平安がありますように🥰🙏

今日もゆっくりまったり、良い一日を☀️

参照:マタイの福音書6章34節
翻訳:新改訳2017

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