「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。」
おはようございます☀️ はらぺこ僧侶です😊
最近、祈りたい人が多いです。
心がかなり疲れている方… 入院している方。
長く一緒に暮らしてきた大切なワンちゃんが年を取って、病気にも… その姿を見るのがつらいっていう話も伺っています。
そんな話を聞くたび…
「祈っています🙏」 って私は言います。
実際、祈ります。
でもね。
ふと思ったんです。
祈りって、本当に効くんですか?
おーいww いやいや😂
お前なに言い出すんだー!! って話なんですけどね😅😅
でも、苦しんでいる人からしたら、普通に思うことじゃないですか。
「祈っています」
って言われたら、もちろん嬉しいとは…思うんです。
自分のことを気にかけてくれている。名前を出して祈ってくれている。
ありがたいですよ。
でもその一方で… それで何が変わるんだろう。
ってね。
思ってもおかしくない。
私は、それを不信仰だとは思えないんですよね。
痛いものは痛いし、怖いものは怖い😱
大切な人や、大切な命が弱っていくのを見ていたら、「大丈夫です✨信じています✨」ってだけで全部きれいに片づくほど、人間の心は…
単純じゃぁないんです。
で、そんなことを考えていたら…
まあ、自分のことですよね。
私は去年まで、ほぼ死人でした。
でも… 去年だけ、たまたま体調を崩したわけじゃあなくて…
その前から何年もかけて、少しずつ衰弱していきました。
まぁご存知の方も多いですよね😪
昨日まで元気でした。 ある日突然ドーンと病気になりました。
では…ないんです👆️
できていたことが、だんだんできなくなる。
あぁ…これ、しんどいな… 前は普通にできたのにな。
そのうち戻るかな。 …戻らないなって😢
そんなのを繰り返し…
去年は、本当に危ないところまで行きました。
その頃、クリスチャンでもない… 自分こそが『神』な私が、 教会で祈ってもらったんです😇
何度も何度も。
でも…。
一番しんどかった頃の私が、ちゃんと信仰を持って、力強く祈れていたかって聞かれたら…
うーん😆😆😆
そんな格好いいもんじゃなかったと思います😅
祈る元気すらない時ですからねw
でも、その時。
誰かが私のために祈ってくれたんですよね。
私が言葉を出せない時に、私の名前を呼んで祈ってくれた人がいた。
そして今…
私は家でパソコンに向かって仕事をしています🥰🙏
たまに取材にも行くし、教会で奉仕もしてる。
…あれれ〜?🤠🔎
私、仕事してる‼️😳
今のところだけ見たら、別に普通なんですよ。
お家で仕事して、たまに外へ出て、人と会って。
でも、あの頃の自分から見たら、 ここって、結構遠かったんです。
遥か彼方… まさに来世みたいなw
だからといって、
「祈ってもらったから神様が病気を治しました!証明終了!」
みたいなことを言う気はありません👆️
あ、また今日も長くなっちゃいましたねw
あともうちょっとだけ続くんじゃ…🐢
治療も受けています。 時間も経っています。 いろんな人にも助けてもらったよね。
何が何%効いたのか。
それは… 知らん😂
そんなの私には分かりません🥱
医学的に「祈りが原因でした」って証明できる話でもないです。
でも逆に、
「あの祈りには何の意味もありませんでした」
とも、私は言えないんですよね。
私は祈られた。
そして… 支えられた。
そして今、あの頃できなかったことをやっている。
その事実。
これは私の中では、消せないんです。
それって偶然?たまたま?🤔🤔🤔
でも…
教会でも、末期癌の方、重い病気の中にいた人… 精神、心が本当に苦しくなっていた人が、祈られながら回復していく姿を…
今でも見ています。
だから私は、
「祈りなんて、ただの気休めでしょ」
とは思えない。
思えないけど…
じゃあ祈れば、みんな治るの?
ここなんですよね。
それは違う。
祈っても治らない人は居るかも知れない。
たくさん祈って、それでも大切な人を見送った人だって…
います。
そんな人に、
「もっと信じればよかったんですよ」
なんて…
私は絶対に言いたくない。 言えません。
病気や悲しみだけでも十分重いのに…
そこに 「あなたは信仰が足りませんでした」 なんて石まで乗せたら、何のための信仰なんだろうと思います。
それで聖書を読んでいたら、一人のお父さんの言葉で止まりました。
新約聖書 マルコの福音書9章。
自分の子どもが長い間苦しんでいて、どうにか助けてほしくて、イエスさんのところまで来たお父さん。
この人がね。
ものすごく立派な信仰を見せるのかと思ったら、違うんですよね🤔
「信じます。不信仰な私をお助けください。」
マルコの福音書 9章24節 新改訳2017
これ。
なんか、分かるんです。
信じます…
でも、
信じられない私もいます。
助けてください。
一つの心の中に、両方ある。
どっちやねん😆 ってなるんだけどね。
たぶん、どっちも本当なんです。
信じたい🙏 でも怖い😱 期待したい🤗
でも期待して、また傷つくのも怖い😭
神様ならできると思いたい✝️
『でも、何も変わらなかったらどうしよう』
人間って、そんなもんじゃあないですか?
それなのにイエスさんは、 このお父さんを追い返しません。
「信仰をもっと強くしてから来てください」
なんて言わないです。 そのまま来た。 そのままイエスさんに助けを求めた。
それで、同じ出来事をマタイの福音書で読んでいたら、今度は弟子たちにイエスさんが「からし種」を使って信仰の話をしています。
からし種って、小さな種なんです。
黄色いマスタードのアレです😋 マックのナゲットのソースはマスタード派なんですけど… あれにつぶつぶは見当たらないですねw
イエスさんが「小さいもの」を表す時にも使っているような、本当に小さな種です。
で。
ここでちょっと引っかかった。
なんで、からし種なんだろ。
もっとさ。
岩とか。 大木とか。 ライオンのような🦁とか🤣
なんかあるじゃん?
「揺るがぬ巨大な信仰を持ちなさい!」
みたいな、強そうなやつ。
でも出てきたのは、
小さな種。
からし種。
あれ。
もしかして私、祈る時には「ちゃんと信じられる自分」にならなきゃいけないって、どこかで思ってたのかな。
疑っちゃダメ。 怖がっちゃダメ。 絶対に大丈夫って言えなきゃダメ。
なんて。
でも…
私が一番弱っていた頃って、
からし種ほどの信仰を自分で握っていたかすら、よく分からないんですよね。
自分で祈れなかったんだから。
それでも、 誰かが祈ってくれていた。
なるほど、そうか🤔
祈りって、自分一人で信仰を絞り出して、神様を動かすことだけじゃない… のかもしれない。
自分で歩けない時に、
誰かが代わりに名前を神様の前へ持って行ってくれる。
私は、そうやって祈られてきたんだ。
ここを書いていて、
なんか急に、
あの頃の人たちの祈りがありがたくなってきました🙏🙏
今さらかよ😅
って感じですけどね。
それで最初の問い。
祈りって、本当に効くんですか?
効きました。 それが私のすべてです。
ただね…
祈りを入れて、欲しい結果のボタンを押したら、
ガコンッ✨
って奇跡が出てくる。
そういう意味じゃない。
もちろん私は、
癒やしてください。 治してください。 助けてください。
って祈ります。
そこは遠慮しないです。
だって、大切だから。
治ってほしいから。
でも、その結果を私が握れるわけじゃない。
そして祈ったから、病院に行かなくていいわけでもありません。
私だって病院へ行きました。 治療も受けました。
薬が必要なら使います💊
大切なペットが病気なら獣医さんにも連れて行く。
そこは普通に行きますよね🤗
祈りって、現実から逃げる方法じゃあ…ないんだ。
できることはする‼️
そのうえで、 自分にはどうにもできないところまで、神様に持って行く。
そして… 自分で持って行けないくらい弱っているなら、
誰かに持って行ってもらってもいい。
あ。
なんか…
最初に考えていた「祈りの効果」から、少し違うところに来ましたね。
でも、今はこっちの方がしっくりくる。
最初に私は、
「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。」
って祈りました。
今もう一回見ると、
「ともにありますように」
ってところが、妙に残ります。
私が一番弱っていた時… 祈りの言葉すら出ない時…
私は一人で神様の前に立っていたわけじゃなかった。
誰かが一緒に立ってくれてたんです。
私にとって祈りは、 そこから始まっていたのかもしれません🙏
もし今、
自分ではもう祈れないくらい疲れている人がいたら。
無理して立派な言葉を作らなくてもいいと思います。
「祈ってください」
って誰かに言っていい。
私に言っても良い🙏
そして今、あなたの頭に誰か一人浮かんだなら。
その人を治せなくても… その人の苦しみを全部背負えなくても…
その人の名前を神様の前へ持って行くことができる。
からし種ほどでもいい。
「信じます。不信仰な私をお助けください。」
そんな揺れたままの祈りでも、
イエスさんのところへ持って行っていいんです。
私は今日、 そう思っています😊
あぁ全能の創造主よ。
今日、自分ではもう祈れない人のために、誰かが祈っています。
病室にいる人を。 心が疲れ切っている人を。
そして… 大切な人や、大切な命の老いと病気を前にして、どうしていいか分からなくなっている人を。
どうか覚えていてください。 癒やしてください。 守ってください。 支えてください。
そして私たちにも、 今日、誰かのためにできる愛があるなら気づかせてください🙏
それでは皆様今日も良い一日を🥰☀️ 今週も4649‼️
参照:マルコの福音書 9章24節
翻訳:新改訳2017