Message朝のメッセージ

祈りって、本当に効くんですか?

参照:マルコの福音書 9章24節
文
はらぺこ僧侶
編集
METANOIA

祈りは本当に効くのか。その問いから、苦しみの中で祈ることや「祈っています」と伝えることの意味を、マルコの福音書9章24節とともに考える朝Messageです。

ベッドで祈る女性と、その周囲で祈る人々。開かれた聖書のそばに、「信じます。不信仰な私をお助けください。」とマルコの福音書9章24節の引用が配置された朝Messageの見出し画像。

「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。」

おはようございます☀️ はらぺこ僧侶です😊

最近、祈りたい人が多いです。

心がかなり疲れている方… 入院している方。

長く一緒に暮らしてきた大切なワンちゃんが年を取って、病気にも… その姿を見るのがつらいっていう話も伺っています。

そんな話を聞くたび…

「祈っています🙏」 って私は言います。

実際、祈ります。

でもね。

ふと思ったんです。

祈りって、本当に効くんですか?

おーいww いやいや😂

お前なに言い出すんだー!! って話なんですけどね😅😅

でも、苦しんでいる人からしたら、普通に思うことじゃないですか。

「祈っています」

って言われたら、もちろん嬉しいとは…思うんです。

自分のことを気にかけてくれている。名前を出して祈ってくれている。

ありがたいですよ。

でもその一方で… それで何が変わるんだろう。

ってね。

思ってもおかしくない。

私は、それを不信仰だとは思えないんですよね。

痛いものは痛いし、怖いものは怖い😱

大切な人や、大切な命が弱っていくのを見ていたら、「大丈夫です✨信じています✨」ってだけで全部きれいに片づくほど、人間の心は…

単純じゃぁないんです。

で、そんなことを考えていたら…

まあ、自分のことですよね。

私は去年まで、ほぼ死人でした。

でも… 去年だけ、たまたま体調を崩したわけじゃあなくて…

その前から何年もかけて、少しずつ衰弱していきました。

まぁご存知の方も多いですよね😪

昨日まで元気でした。 ある日突然ドーンと病気になりました。

では…ないんです👆️

できていたことが、だんだんできなくなる。

あぁ…これ、しんどいな… 前は普通にできたのにな。

そのうち戻るかな。 …戻らないなって😢

そんなのを繰り返し…

去年は、本当に危ないところまで行きました。

その頃、クリスチャンでもない… 自分こそが『神』な私が、 教会で祈ってもらったんです😇

何度も何度も。

でも…。

一番しんどかった頃の私が、ちゃんと信仰を持って、力強く祈れていたかって聞かれたら…

うーん😆😆😆

そんな格好いいもんじゃなかったと思います😅

祈る元気すらない時ですからねw

でも、その時。

誰かが私のために祈ってくれたんですよね。

私が言葉を出せない時に、私の名前を呼んで祈ってくれた人がいた。

そして今…

私は家でパソコンに向かって仕事をしています🥰🙏

たまに取材にも行くし、教会で奉仕もしてる。

…あれれ〜?🤠🔎

私、仕事してる‼️😳

今のところだけ見たら、別に普通なんですよ。

お家で仕事して、たまに外へ出て、人と会って。

でも、あの頃の自分から見たら、 ここって、結構遠かったんです。

遥か彼方… まさに来世みたいなw

だからといって、

「祈ってもらったから神様が病気を治しました!証明終了!」

みたいなことを言う気はありません👆️

あ、また今日も長くなっちゃいましたねw

あともうちょっとだけ続くんじゃ…🐢

治療も受けています。 時間も経っています。 いろんな人にも助けてもらったよね。

何が何%効いたのか。

それは… 知らん😂

そんなの私には分かりません🥱

医学的に「祈りが原因でした」って証明できる話でもないです。

でも逆に、

「あの祈りには何の意味もありませんでした」

とも、私は言えないんですよね。

私は祈られた。

そして… 支えられた。

そして今、あの頃できなかったことをやっている。

その事実。

これは私の中では、消せないんです。

それって偶然?たまたま?🤔🤔🤔

でも…

教会でも、末期癌の方、重い病気の中にいた人… 精神、心が本当に苦しくなっていた人が、祈られながら回復していく姿を…

今でも見ています。

だから私は、

「祈りなんて、ただの気休めでしょ」

とは思えない。

思えないけど…

じゃあ祈れば、みんな治るの?

ここなんですよね。

それは違う。

祈っても治らない人は居るかも知れない。

たくさん祈って、それでも大切な人を見送った人だって…

います。

そんな人に、

「もっと信じればよかったんですよ」

なんて…

私は絶対に言いたくない。 言えません。

病気や悲しみだけでも十分重いのに…

そこに 「あなたは信仰が足りませんでした」 なんて石まで乗せたら、何のための信仰なんだろうと思います。

それで聖書を読んでいたら、一人のお父さんの言葉で止まりました。

新約聖書 マルコの福音書9章。

自分の子どもが長い間苦しんでいて、どうにか助けてほしくて、イエスさんのところまで来たお父さん。

この人がね。

ものすごく立派な信仰を見せるのかと思ったら、違うんですよね🤔

「信じます。不信仰な私をお助けください。」

マルコの福音書 9章24節 新改訳2017

これ。

なんか、分かるんです。

信じます…

でも、

信じられない私もいます。

助けてください。

一つの心の中に、両方ある。

どっちやねん😆 ってなるんだけどね。

たぶん、どっちも本当なんです。

信じたい🙏 でも怖い😱 期待したい🤗

でも期待して、また傷つくのも怖い😭

神様ならできると思いたい✝️

『でも、何も変わらなかったらどうしよう』

人間って、そんなもんじゃあないですか?

それなのにイエスさんは、 このお父さんを追い返しません。

「信仰をもっと強くしてから来てください」

なんて言わないです。 そのまま来た。 そのままイエスさんに助けを求めた。

それで、同じ出来事をマタイの福音書で読んでいたら、今度は弟子たちにイエスさんが「からし種」を使って信仰の話をしています。

からし種って、小さな種なんです。

黄色いマスタードのアレです😋 マックのナゲットのソースはマスタード派なんですけど… あれにつぶつぶは見当たらないですねw

イエスさんが「小さいもの」を表す時にも使っているような、本当に小さな種です。

で。

ここでちょっと引っかかった。

なんで、からし種なんだろ。

もっとさ。

岩とか。 大木とか。 ライオンのような🦁とか🤣

なんかあるじゃん?

「揺るがぬ巨大な信仰を持ちなさい!」

みたいな、強そうなやつ。

でも出てきたのは、

小さな種。

からし種。

あれ。

もしかして私、祈る時には「ちゃんと信じられる自分」にならなきゃいけないって、どこかで思ってたのかな。

疑っちゃダメ。 怖がっちゃダメ。 絶対に大丈夫って言えなきゃダメ。

なんて。

でも…

私が一番弱っていた頃って、

からし種ほどの信仰を自分で握っていたかすら、よく分からないんですよね。

自分で祈れなかったんだから。

それでも、 誰かが祈ってくれていた。

なるほど、そうか🤔

祈りって、自分一人で信仰を絞り出して、神様を動かすことだけじゃない… のかもしれない。

自分で歩けない時に、

誰かが代わりに名前を神様の前へ持って行ってくれる。

私は、そうやって祈られてきたんだ。

ここを書いていて、

なんか急に、

あの頃の人たちの祈りがありがたくなってきました🙏🙏

今さらかよ😅

って感じですけどね。

それで最初の問い。

祈りって、本当に効くんですか?

効きました。 それが私のすべてです。

ただね…

祈りを入れて、欲しい結果のボタンを押したら、

ガコンッ✨

って奇跡が出てくる。

そういう意味じゃない。

もちろん私は、

癒やしてください。 治してください。 助けてください。

って祈ります。

そこは遠慮しないです。

だって、大切だから。

治ってほしいから。

でも、その結果を私が握れるわけじゃない。

そして祈ったから、病院に行かなくていいわけでもありません。

私だって病院へ行きました。 治療も受けました。

薬が必要なら使います💊

大切なペットが病気なら獣医さんにも連れて行く。

そこは普通に行きますよね🤗

祈りって、現実から逃げる方法じゃあ…ないんだ。

できることはする‼️

そのうえで、 自分にはどうにもできないところまで、神様に持って行く。

そして… 自分で持って行けないくらい弱っているなら、

誰かに持って行ってもらってもいい。

あ。

なんか…

最初に考えていた「祈りの効果」から、少し違うところに来ましたね。

でも、今はこっちの方がしっくりくる。

最初に私は、

「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。」

って祈りました。

今もう一回見ると、

「ともにありますように」

ってところが、妙に残ります。

私が一番弱っていた時… 祈りの言葉すら出ない時…

私は一人で神様の前に立っていたわけじゃなかった。

誰かが一緒に立ってくれてたんです。

私にとって祈りは、 そこから始まっていたのかもしれません🙏

もし今、

自分ではもう祈れないくらい疲れている人がいたら。

無理して立派な言葉を作らなくてもいいと思います。

「祈ってください」

って誰かに言っていい。

私に言っても良い🙏

そして今、あなたの頭に誰か一人浮かんだなら。

その人を治せなくても… その人の苦しみを全部背負えなくても…

その人の名前を神様の前へ持って行くことができる。

からし種ほどでもいい。

「信じます。不信仰な私をお助けください。」

そんな揺れたままの祈りでも、

イエスさんのところへ持って行っていいんです。

私は今日、 そう思っています😊

あぁ全能の創造主よ。

今日、自分ではもう祈れない人のために、誰かが祈っています。

病室にいる人を。 心が疲れ切っている人を。

そして… 大切な人や、大切な命の老いと病気を前にして、どうしていいか分からなくなっている人を。

どうか覚えていてください。 癒やしてください。 守ってください。 支えてください。

そして私たちにも、 今日、誰かのためにできる愛があるなら気づかせてください🙏

それでは皆様今日も良い一日を🥰☀️ 今週も4649‼️

参照:マルコの福音書 9章24節
翻訳:新改訳2017

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