おはようございます。 はらぺこ僧侶です🥰
シルバーウィーク終わっちゃいましたね😅 今日明日と有給を取ってる方ももしかしたらいらっしゃるかも?🤔
今日は、いつもはほとんど見ない旧約聖書の「ハバクク書」というところを読んでます。
…ハバクク。
誰だっけ?🤔
名前はまぁ確かに見たことあるけど、正直なところ、
誰?😂
ってところから始まりました。
旧約聖書って、創世記とか出エジプト記とか詩篇あたりまではまだ分かるんですけど、後ろのほうに行くと急に知らない人がいっぱい出てくるんですよね。
なので、分からないまま読むより先に、AIに「ハバクク書って、ざっくり何の話?」って聞いてみました。
概要を調べてみると、ハバククという人は預言者なんですが、最初から神様の答えを知っていて、それをみんなに教える人…という感じではなかったんです。
むしろ、神様に問いかけてる。
世の中を見れば暴力があるし、争いもある。不正がまかり通って、正しいことまで曲げられている。
なのに神様、どうして黙ってるんですか?
そんな問いから、この書は始まっていました。
あぁ……
なんか急にハバククさんが近くなりました😅
二千年以上前の人なのに、言っていることは今ニュースを見ながら私たちが思っていることと、そんなに変わらないんですよね。
「なんでこんなことが許されるんだろう」
って。
しかも面白いのが、神様から答えが返ってきたからといって、ハバククが「あぁ、なるほど。そういうことですね!」とはならないところなんです。
神様は、カルデア人という、とても強い民がやって来ることを告げます。
ところがこの人たちも、他の国へ攻め込んで、奪って、人を傷つけるような人たちなんです。
いや……
ちょっと待ってくださいよ😂
「悪いことが起きています。なんとかしてください」って聞いたら、もっと怖そうな人たち出てきたんですけど😳
当然ハバククも、そこで終わらない。
「それでいいんすか?」
って、また神様に問いかけるんです。
いや、そりゃそうですよw
私はここ、なんか好きです🤣
分からないことを「神様のすることだから」で無理やり分かったことにしないんですよね。
納得できなければ、もう一度聞く。
そして、自分の都合のいい答えを作らずに、神様が何と答えるのか待つ。
そんなやり取りの中で、今日、私の目が止まったのがこの言葉でした。
「まことに、お前は多くの国々を略奪したので 諸国の民の残りの者すべてがお前を略奪する。 お前が人々の血を流し、国中で不法を 町とそのすべての住民に対して行ったからだ。」
ハバクク書 2章8節 新共同訳
……強いですよね😳
最初に読んだときは、
「悪いことをしたら、いつか自分に返ってきますよ」
という因果応報みたいな話なのかなと思いました。
でも、ここまでの流れを知ってから読むと、少し違って見えてきたんです。
ここで問題にされているのは、ただ何かを盗んだという話じゃない。
大きな力を持った人たちが、その力を使って他の国へ入り込み、奪って、支配して、自分たちをどんどん大きくしていった。
つまり…
誰かを小さくすることで、自分たちは大きくなったつもりだった。
そこまで考えたところで、少し手が止まりました。
「奪う」って、戦争とか略奪だけなんでしょうか。
もちろん、同じ重さではありません。
国を侵略して命を奪うことと、日常のちょっとした身勝手を同じものとして語るのは違うと思います。
でもね。
形を小さくすると、私たちの生活にも、似た方向はあるのかもしれない。
誰かが断らないから、その人の時間をいつも使ってしまったり。
優しい人だから大丈夫だろうと、その優しさに甘え続けてしまったり。
最初は「ありがとう」だったはずなのに、いつの間にか「やってくれて当然」になっていたり。
そうすると、自分のほうは少し楽になるんですよね。
時間もできるし、面倒なことも減る。
場合によっては、その人が頑張った分まで自分の評価になっていることだってあるかもしれない。
たしかに、自分の側だけ見れば増えている。
でも、その分を誰かがずっと払い続けていたとしたら。
それって本当に、
豊かになったんでしょうか。
なんかね…
ここでハバクク書が、急に昔の戦争の話じゃなくなったんです。
「あなたは何を持っているの?」
じゃなく…
「それを、どうやって手に入れたの?」
って聞かれているような気がした。
そして、もう一つ気づいたことがありました。
ハバクク書で問題になっているのって、力を持つことそのものじゃないんですよね。
持っている力を、何のために使うのか。
そこなんじゃないかなって。
そう思ったら、イエスさんの言葉がつながってきました。
弟子たちの間で「誰が上になるのか」という話になったとき、イエスさんは、この世界では支配する人たちが人の上に立って権力を振るっている、と話します。
そこまでは、ハバクク書に出てきた世界と似てるんです。
力を持った人が、その力で誰かを下に置く。
強いから支配する。
上にいるから従わせる。
でもイエスさんは、そこで方向を変えるんです。
「あなたがたの間では、そうではない。」
偉くなりたいなら、仕える側へ行きなさい。
そしてイエスさん自身も、仕えられるためではなく、仕えるために来たと語っています。
あぁ…🤔
これかもしれない、と思いました。
ハバクク書が見せているのは、
力を使って奪いながら、自分を大きくしていく世界。
イエスさんが見せているのは、
持っている力を使って、人を生かしていく世界。
これって真逆なんですよね👆️
だから今日の御言葉は、
「悪い人には、いつか罰が当たりますよ」
という話だけでは終わらなくなりました。
私のところまで戻ってきました🤗
私が持っている力を、私は何に使っているんだろう。
もちろん私には、国を動かすような権力なんてありません😂
でも、何も持っていないわけでもない。
誰かにかけられる言葉もあるし、自分で使える時間もある 知っていることもあれば、誰かが自分を信頼してくれていることだって…あります🙂↕️
それだって、小さいけれど一つの力ですよね。
だったら今日、
誰かを小さくして自分を大きくするためじゃなくて、誰かを少し生かすために使ってみたい。
別に大げさなことじゃなくていいと思うんです。
いつもやってもらっていることに気づいたなら、今日はちゃんと「ありがとう」を言う。
誰かに持たせっぱなしだったものに気づいたなら、「あ、これ私が持つやつだった😅」って取り戻す。
自分の言葉に力があるなら、誰かを下げるためじゃなく、その人がもう一度立てるように使う。
ハバクク書。
正直、今日までほとんど読んでなかったんですけど😂
なんだか、もう少し読んでみたくなりました。
二千年以上前の、
「神様、これっておかしくないですか?」
という問いを読んでいたはずなのに、
気がついたら、
「じゃあ私は、持っているものをどう使うんだろう」
って、自分のところまで返ってきた。
聖書って、たまにこういうことするんですよね😂
ずっと昔の誰かの話を読んでいたはずなのに、気づいたら今日の自分がそこにいる。
誰かを小さくしてまで、大きくならなくていい。
せっかく何かを持っているなら、
誰かを生かすほうへ使いたい。
今日はそんなことを考えながら、始めてみようと思います🥰🙏
今日もゆっくりまったり、 良い一日を☀️🕊️
参照:ハバクク書2章8節
翻訳:新共同訳