おはようございます☀ はらぺこ僧侶です。
昨日、愛の歌を書いていると…
途中でふっと手が止まります。
『Dear My Dear』という曲です🥰
最初は、ほんとにごく普通の二人の歌だったんです…
性格は似てるようで全然違って。
片方はのんびりしてるのに、もう片方は夜になるといろいろ考えすぎちゃう。
「何食べる?」って聞いても決まらないし、「どこ行く?」って言いながら、結局いつもの場所に行く😂
たまにイラッとするし、帰り道に二人とも黙ってる日もある。
でも…なんだかんだ…
好き。
そんな曲。
ところが歌詞を書いていたら、こんな歌詞が浮かんできたんです🤔
“We don’t have to be the happiest — we’re good like this, right?”
「世界一幸せじゃなくても、これで幸せじゃない?」
書いたあと、ちょっと固まりました😳
恋愛の歌って、「君を世界一幸せにする」とか「君がいれば何もいらない」とか、そういう言葉が多いじゃないですか。
もちろん、それくらい大切だよっていう愛情表現なんだと思います。
でもね…
本当に一人の人間が、もう一人の人間の「幸せ全部」を背負えるんだろうか…
たぶん、無理。
どれだけ愛していても、相手の寂しさを全部消すことはできないし、悲しみを全部防ぐこともできない。ずっと笑わせ続けることも、たぶんできない。
それを約束しようとすると、愛だったはずのものが、だんだん重たくなっちゃうこともある気がします。
だから歌の途中に、この歌詞が入りました。
“Dear my dear, don’t carry all the weight.”
「全部を背負わなくていいよ」
そして、そのあとに出てきたのがこれです。
“There was Someone who loved us long before we learned to love.”
私たちが愛することを覚えるより、ずっと前から、私たちを愛してくれていた方がいた。
これを書いたとき、「あ、これか」って思いました😆
聖書の中に、伝統的にイエスさんの弟子ヨハネによるとされる手紙があるんですけど、そこにこんな一節があるんです。
『私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。』 (ヨハネの手紙 第一 4:19)
順番が逆なんですよね。
愛されるために、必死で誰かを愛するんじゃない。
誰かに自分を満たしてもらって、やっと愛せるようになる、でもない。
先に、愛されていた。
そこから「じゃあ私も、この人を愛したいな」が始まるのかもしれません。
だから最後の歌詞は、こうなりました。
“I've been loved, and that's why I wanna love you too.”
「私は愛されてきた。だから、あなたのことも愛したい」
なんかね、こっちの方が私は好きなんです🥰🙏
「一生あなたを幸せにします」なんて大きなことは、なかなか言えなくても、あなたが暗い夜に泣いていたら、隣に座ることはできる。
元気にしてあげられなくても、話を聞くことはできる。
問題を全部解決できなくても、手を離さないことはできる。
それでいいんじゃないかなって…😌
誰かの人生全部を背負うことと、愛することは、たぶん同じじゃないんですよね。
イエスさんは、私たちに愛し合うことを教えてくれました。
互いに愛し合いなさいのやつね👆️
だから今日は、誰かを世界一幸せにしなくていい。全部背負わなくていい。
ただ、「私は愛されているから、この人を少し愛してみよう」くらいでいいのかもしれません。
コーヒーを一杯いれるでもいいし、「ありがとう」って言うでもいい。話を途中で遮らずに聞くでもいい。
何も言えない日は、ただ隣にいるでもいい…
世界一じゃなくていい。
今日も一緒に笑えたなら…それで、けっこう幸せじゃないですか?🤔
今日出会うすべての方が、先に愛されていたことを、ふっと思い出せる一日になりますように。
皆様に主の祝福と平安がありますように🥰🙏
今日もゆっくりまったり良い一日を🤗
参照:ヨハネの手紙 第一 4:19
翻訳:新改訳2017