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やり直す明日がなくても。

参照:ルカの福音書23章42〜43節
文
はらぺこ僧侶
編集
METANOIA

未来の日記を読んだルーデウスと、十字架で「私を思い出してください」と願った犯罪人。やり直す明日がなくても、「今日、わたしとともに」と語る恵みを考えます。

日記を読むルーデウスと傷ついた老ルーデウス、十字架上のイエスさんと犯罪人、それを見守る母マリアとはらぺこ僧侶を描き、中央に「今日、わたしとともに」ルカ23章42〜43節を置いた朝Messageの見出し画像。

おはようございます☀️ はらぺこ僧侶ですよ😆

昨日の朝、FBには書いたけど、うるま市のユトリコーヒーに行ってました😋☕️

名前の通りというか… ちょっとゆっくりしながら、サイトを作って。

そのあと支払い関係を済ませて、ほっともっと買って帰宅🍱

ちなみに私のフェイバリットほっともっとは、チキン南蛮です🐔

一回に半分くらいしか食べられないけど、鬼リピしてます🤗🤗

そして…

家に帰ってからも、またサイト作って。

途中で音楽の動画をどうしようかなぁ…なんて考えたりして。

書き出してみると、うん…ごく普通の一日でしたね😂

異世界に飛ばされたわけでもないし、魔王も出てこない。

で…

休憩に見たのが、めちゃ好きなアニメ『無職転生Ⅲ』の第13話「日記」でした。

ここから少しネタバレあります👆️

※作品を知らない方も、このあと分かるように書きます🙏

いやぁ…

老ルーデウス。

お前、それは違うだろ😑

って、結構腹が立ちました笑

もちろんね。

大切な人を失って、絶望して、壊れていく。

そこまで追い詰められた苦しさは、簡単に「分かる」なんて言えないと思うんです。

でも…

傷ついたことは、その後に誰かを傷つけていい理由にはならない。

苦しみは、その人がどうしてそうなったのかを説明してくれることはあっても、何をしてもいいという免罪符にはならないんですよね。

だから私は、老ルーデウスを見て腹が立った。

でも、あの「日記」が怖いのは…

あれが知らない悪人の日記じゃないことなんです。

未来の「自分」の日記なんですよね。

今のルーデウスから見れば、

「いや、俺はそんな人間じゃない」

と言いたくなるような姿。

でも、いくつもの喪失と、いくつもの選択の先に、自分がそこへ行ってしまう可能性がある。

なんか、それを考えたら少し怖くなりました。

もし今日、何十年後かの自分の日記を渡されたら…

私はちゃんと読めるんだろうか。

「こんなの私じゃない」

って言いたくなるページ、ないのかなって。

そしてね…

それを考えていたら、今作っている曲が重なってきました。

『罪人X — Remember Me —』

十字架にかけられた、名前すら聖書に残っていない一人の犯罪人を描いている曲です。

歌詞の中に、

「No excuse, no alibi」

という言葉があります。

言い訳はない。

アリバイもない。

そして、

「I know what I did I know what I deserve」

自分が何をしたか分かっている。

自分が何を受けるべきなのかも分かっている。

これは新約聖書、ルカの福音書23章に出てくる犯罪人の姿と重ねて書いています📔✝️

十字架の上で、もう一人の犯罪人がイエスさんを罵った時、彼はそれを止めました。

自分たちは、自分たちのしたことの報いを受けている。

でも、この人は悪いことを何もしていない。

そう認めたうえで…

イエスさんに、こう言います。

「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」

するとイエスさんは、

「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

そう答えました。

ルカの福音書23章42〜43節 新改訳2017

なんかね…

ここで急に、『無職転生』と『罪人X』が私の中でつながったんです。

ルーデウスには、未来の日記がありました。

だから…

まだ変えられる。

日記に書かれていた未来へ行かないために、今日違う選択ができる。

でも、十字架の犯罪人には…

もう、その時間さえ…

ほとんど残されていません。

明日から善人になります、と証明することもできないし、何年も善行を積み重ねることもできない。

もし誰かを傷つけていたとしても、地上へ降りて、その人の人生を全部元通りにする時間もない。

だからといって、

「仕方なかったんです」

とも言わなかった。

自分のしたことを認めた。

そのうえで…

「Jesus — remember me」

私を、忘れないでください。

最後に、そう願った。

そこで今作っている歌の、この部分が自分でもなんだか急に…

重くなりました。

「Grace did not wait For a better me」

恵みは、

「もっとマシな人間になってから来なさい」

とは言わなかった。

そして最後は…

「Today — not someday With Me — not alone」

いつか、じゃない。

今日。

一人で、じゃない。

わたしとともに。

これって、ものすごい言葉だと思うんです。

ただし…いや、もちろん…

だから何をしてもいい、という話ではありません。

十字架の犯罪人は、自分の責任から逃げていません。

そして私たちには、彼には残されていなかった「今日の続き」があります。

だから、謝れる相手がいるなら謝ればいいし、返せるものがあるなら返す。

やめるべきことに気づいたなら、今日やめることもできる。

誰かを傷つける生き方からだって、今日、向きを変えることができます。

恵みは責任を消すための消しゴムじゃなくて…

責任から逃げずに、それでも「もう終わりだ」と自分を捨てないためのものなのかもしれません。

そう考えると昨日の一日も、なんだか少し違って見えるんです。

ユトリコーヒーでサイトを作って。

支払いを済ませて。

ほっともっと食べて。

またサイトを作って、音楽を考えて、アニメを見て。

何も劇的じゃない一日。

でもたぶん…

未来の日記って、こういう普通の日に書かれていくんですよね。

人生を決めるのは、いつも大きな「ターニングポイント」だけじゃない。

今日、何を選ぶのか。

間違えたと気づいた時に、言い訳するのか。

それとも…

「あぁ、違った」

って向きを変えるのか。

私にも、消せない昨日はあります。

皆さんにも、やり直せないことはあるかもしれません。

でも、今日が残っているなら。

今日、向きを変えられる。

そしてもし…

もう何も証明できないと思うほど、人生の端っこまで来ていたとしても。

十字架の隣には、

最後の最後まで人を見捨てなかった王がいる。

「降りない王 すぐ隣」

昨日書いていた歌詞の意味が、今日は昨日より少しだけ深く見えています。

Today — not someday.

今日。

また一ページ、書いていきましょう📖

皆様に主の祝福と平安がありますように🥰🙏

参照:ルカの福音書23章42〜43節
翻訳:新改訳2017

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