おはようございます☀️ はらぺこ僧侶です😊
昨日ね。
ずーーっと放置していたnoteに、久しぶりに記事を書きました😂
きっかけは、
「お酒と一緒に、ありがとうを伝えた話」
という投稿企画。
それを見ていたら、亡くなった父と母のことを思い出したんです。
父がいつも飲んでいたビールのこと。
家にあった瓶ビールのケース。
そんな、どうでもよさそうなことは覚えているのに……
父と母に、
「ありがとう」
って、ちゃんと言った記憶があまりない。
なんだかなぁ……って😅
もう二人に会って、
直接伝えることはできません。
だから昨日は、noteを書きながら、
今さらだけど……
「ありがとう」
って言葉にしました。
そのとき思い出したのが、ルカの福音書17章です。
病によって人々から離れて暮らしていた十人が、
遠くからイエスさんに、
「先生、私たちをあわれんでください」
と叫びます。
イエスさんの言葉に従って歩いていくと、
十人とも、きよめられました。
でも……
そのことに気づいて、
イエスさんのところまで**戻ってきたのは一人だけ**でした。
その人は大声で神様をほめたたえ、
イエスさんの足もとにひれ伏して感謝します。
するとイエスさんは言われました。
> 「十人きよめられたのではなかったか。九人はどこにいるのか。」
そして、その一人に、
> 「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」
ルカの福音書17章15〜19節 新改訳2017
これね……
「感謝していたのは一人だけだった」
とは、聖書には書いてないんです。
残りの九人だって、
嬉しかったと思う。
イエスさんに感謝していた人もいたかもしれない。
でも、
戻ってきたのは一人だった。
ここが昨日、すごく引っかかりました。
私もそうだったのかもしれないなぁって。
父や母に感謝してなかったわけじゃない。
たぶん、してた。
でも……
思ってることと、
相手に伝えることは、
同じじゃないんですよね。
「ありがとう」
たったこれだけなのに、
いつでも言えると思って、
後回しにしてしまう。
でも「いつでも」は、
いつまでもじゃない。
父と母には、もう直接届けられません。
それでも昨日、
遅すぎる「ありがとう」を書きました。
だから今日は、
まだ戻れる人のところには、
戻ってみようと思います😊
大げさなことじゃなくていい。
「ありがとう」
それだけでいい。
感謝を心の中だけに置いて、
九人のまま歩いていかないように。
私も今日、
ちゃんと伝えます🥰
皆様に主の祝福と平安がありますように🙏
参照:ルカの福音書 17章15〜19節
翻訳:新改訳2017