朝のメッセージ

昨日の宿題に、今日を持っていかれないように

/ 参照: マタイの福音書 6章34節

昨日できなかったことに向き合いながらも、その一つだけで今日の全部を決めない。イエスさんの言葉から、途中のまま生きる土曜日を考えます。

やわらかな朝の光の中、ピンク髪の女性が白いパーカー姿で座り、マタイの福音書6章34節の御言葉が大きく配置された朝のメッセージ見出し画像。

おはようございます☀️ はらぺこ僧侶です。

昨日は金曜日。

本当なら「幸せ解体新書ラジオ」を公開する日だったんですが、間に合いませんでした🙇‍♀️💦

楽しみにしてくださっていた方がいたら、ごめんなさい。 ちゃんと仕上げて公開しますので、もう少しだけ待っていてくださいね🎙️

それで今朝、スマホを見たら普通に土曜日になってました。

いや、そりゃそうなんですけどね😂

こっちはまだ金曜日の宿題を持ってるのに、曜日だけ先に行ってるんです。

ちょっと待ってくれてもいいのに笑

こういう時って、終わらなかった一つだけが急に大きく見えるんですよね。

昨日だって一日いろいろ動いていたはずなのに、最後に残ったものが、

「はい、昨日の代表は私です」

みたいな顔をしてくる😅

いやいや。

あなたは昨日の一部ではあるけど、昨日のすべてではないです。

古代ローマの皇帝だったマルクス・アウレリウスって人がいます。

この人、『自省録』の中で、朝起きたくない自分に、

「人間としてやることがあるんだから、起きよう」

みたいなことを書いてるんです。 (『自省録』第5巻1節・要約)

皇帝でも、朝は起きたくなかったんですね😂

国を動かしていた人が、朝から自分を説得していたのかと思うと、ちょっと安心します。

立派な人って、いつもやる気に満ちている人じゃなくて、気が重い日も、とりあえず起きて今日を始めた人なのかもしれません。

身体の中にも、体内時計と呼ばれる仕組みがあります。

この時計は、朝の光や夜の暗さなどを手がかりに、一日のリズムを合わせています🌅

私が昨日の仕事を終えたかどうかなんて、身体は知りません。

ラジオを公開できたかどうかも、たぶん全然気にしてません笑

朝になれば、身体は身体で今日を始めようとするんです。

そう考えたら、なんだかちょっと面白くなりました。

頭の中ではまだ昨日の反省会をしているのに、身体はもう土曜日を生き始めてるんですよね。

そこで思い出したのが、イエスさんのこの言葉です。

『ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。』

(マタイの福音書 6:34・新改訳2017)

イエスさんは、食べるものや着るもの、この先どうなるんだろうと心配していた人たちに、こう言ってるんです。

これは、先のことは何も考えなくていいとか、やるべきことを放っておいていい、という話ではありません。

私もラジオはちゃんと仕上げます。

昨日できなかったことを、土曜日になったから消しました、ということにはできません😅

でも、昨日の宿題を今日へ持ってくることと、昨日の気まずさまで今日の主役にすることは違うんですよね。

できなかったことには向き合う。

でも、それだけで自分の一日全部を決めない。

昨日うまくいかなかったからといって、今日笑ってはいけないわけでもないし、楽しいことを後回しにし続ける必要もありません😊

何もかも終わってから安心しようと思っていたら、私の場合、安心する順番がなかなか回ってきません笑

人生は、全部片づいた後に始まるものではなくて、何かしら途中のまま進んでいくものなんでしょうね。

だから今日は、昨日の続きをちゃんとやりながら、土曜日は土曜日として過ごしたいと思います。

できなかった一つに、今日まで全部持っていかれないように。

昨日よりほんの少しでも、愛のある選び方ができたら、それで十分です🥰

イエスさん。

昨日できなかったことを、ごまかさずに向き合えるように助けてください。

でも、一つの失敗や遅れだけで、自分自身までダメだったと決めつけないようにしてください。

まだ途中にいる今日も、目の前にいる人を大切にし、笑える時にはちゃんと笑えますように。

皆様に、主の祝福と平安がありますように🥰🙏

参照: マタイの福音書 6章34節
翻訳: 新改訳2017