朝のメッセージ

LOVEは、歌い終わったあとに

/ 参照: ヨハネの福音書 13章34節

違うユニフォームを着て競い合う時も、相手を雑に扱わず、歌い終わったあとにも愛を残すことを考える朝のメッセージ。

サッカースタジアムでアルゼンチンとスペインのユニフォームを着た二人が応援し、中央に「LOVEは、歌い終わったあとに」と聖句が描かれた見出し画像

おはようございます☀️ まだ興奮がおさまってません…! というか、まだ後半の真っ最中です😳😳 今、ワールドカップの決勝を、テレビにかじりつくように見ています⚽️ 朝からもう、心臓バクバクです。 一つのボールを選手たちが本気で追いかけて、世界中がその行方を見守ってる。 攻めたら「うわああ!」って声が出るし、外したら「あーーー!!」って、こっちまで崩れ落ちそうになる。 ところで私、どっちを応援してるんでしょうね😂 気づいたら、ソファの上で謎に前のめりになってました。 誰も見てないのに、なんであんなに力が入るんですかね…。 私が踏ん張ったところで、パスの精度なんて一ミリも上がらないのに😅 そんな前半が終わって、ハーフタイムショーが始まりました。 ジャスティン・ビーバーが「Hallelujah」を歌い出した瞬間、鳥肌が立ちました。 そのあとに流れたLOVEの歌では、会場のみんなが大合唱していたんです。 さっきまで違う国の旗を振って、相手に負けるなって叫んでいた人たちが、同じ歌を歌ってる。 勝敗を競う世界大会の真ん中で、みんなが愛を歌う…❤️ ちょっと泣きそうになりました😭💕 一瞬だけ、本当に世界が一つになったように見えたんですよね。 でも、ショーが終わると、選手たちはまた別々のユニフォームを着て、ピッチへ戻ってきました。 まあ、当然なんですけどね。 決勝ですから、誰も譲る気なんてありません。 そこで、ふと引っかかったんです。 さっき歌っていたLOVEって、後半が始まったら、どこへ行くんだろう。 いや、みんなで歌っていた時間が嘘だった、と言いたいわけではないんです。 むしろ、あの歌が本物になるのは、歌い終わったあとからなのかもしれないなって。 倒れた相手に、手を差し出せるか。 判定に腹が立っても、相手の存在まで踏みにじらずにいられるか。 試合が終わったあと、勝った選手と負けた選手が、互いをたたえられるか。 そういう場面で、さっきのLOVEが、もう一度ピッチへ戻ってくる気がしたんです。 ヨハネの福音書で、イエスさんが弟子たちに、こう語った箇所があります。 「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」 (ヨハネの福音書13章34節・新改訳2017) この言葉は、みんなで仲良く盛り上がっている時に語られたものではないんですよね。 ここが、ちょっと意外なんです👆️ その夜、ユダは席を立ち、イエスさんを裏切るために出ていきました。 そして、このあとには、ペテロがイエスさんを三度知らないと言うことまで予告されます。 関係がきれいにまとまっていた夜ではありません。 むしろ、これから崩れていこうとしていた夜に、イエスさんは「互いに愛し合いなさい」と語ったんです。 直接には、弟子たちへ与えられた言葉です。 でも私はここから、愛って、みんなが同じ意見になることではないんだろうなと思わされます。 違いもある。 失望することもある。 時には、相手に対して怒ることだってある。 その中で、それでも相手をどう扱うのか。 愛は、そこで見えるものなのかもしれません。 勝ちたいなら、全力で勝ちにいけばいいと思うんです。 違うと思うなら、違うと言っていい。 無理に同じユニフォームを着る必要もありません。 ただね。 勝つことと、相手を雑に扱っていいことは、別の話じゃないですか😳 これはスポーツだけじゃなく、SNSでも、政治でも、宗教でも、身近な言い争いでも同じだったりします。 自分の側が正しいと思った瞬間ほど、向こう側にいる人を、ひとまとめにして雑に扱いやすくなる。 私にもあります。 相手の話を聞く前から、「ああ、この人はそっち側ね」って、心の中でユニフォームを着せちゃうこと。 でも、人はユニフォームそのものじゃないんですよね。 だから今日、意見や立場の違う人に出会った時。 その人を無理にこちら側へ塗り替えようとする前に、違うまま、その人として扱えているか。 ちょっとだけ見直したいなと思いました。 さて、試合はまだ続いています。 私は引き続き、テレビの前で何の役にも立たない前のめりを続けながら、最後まで見届けます⚡️😅 歌い終わったあとにも、LOVEが残りますように。 皆様に主の祝福と平安がありますように🥰🙏 では皆様、今日も良い一日を。 私は試合が終わったら、おやすみなさい💤 良い夢を🙏

参照: ヨハネの福音書 13章34節
翻訳: 新改訳2017