
おはようございます☀️ はらぺこ僧侶です。
「もういい」
このセリフ、言った瞬間はちょっとスッとするんですけど、 数分後には全然もうよくなかったりしません…?😅
だいたい、よくない。
心の中では、まだ言いたいことが渋滞してたりします🚗💦
これ以上言うと喧嘩になりそうだし、 説明するのもしんどいし、 できれば相手から先に「わかったよ」って言ってほしい🙄
これ、自分で言うのもあれですけど、 めちゃくちゃやりがちです笑
そうやって黙っているうちに、 同じ部屋にいるのに、 なんとなく遠い人になっていく瞬間ってありますよね。
夫婦でも、家族でも、友達でも。
関係って、大きな事件でいきなり壊れるんじゃなくて、 小さな「もういい」がじわじわ積もって、 気づいたら話せなくなっている。
そういうことの方が、実は多いんじゃないかなと思うんです🤔
愛していたら、ずっと仲良くできるはず。
昔は、どこかでそんなふうに思っていました。
でも実際は逆で、 愛しているからこそ腹が立つし、 期待しているからこそ傷つく、みたいなことがよくあります。
近い人ほど、 「これくらい、言わなくてもわかるでしょ」
って、説明を省略しがちで…
いや、わからんのですよね😂
自分の中では全部つながっている話でも、相手には一行も届いていなかったりします。
あるあるすぎて、もはや誰か共感してください😇
関係を続けるって、たぶん「別れずにいる」ことじゃなくて。
一緒に住んでいても、 何年一緒にいても、 会話を閉じたままだと、そこで止まってしまう気がします…🤔
反対に、気まずくても、また話してみる。
聞きたくない話でも、最後まで聞いてみる。
自分が悪かった部分は、 「でもさ」って続けずに謝ってみる。
そういう、あんまりかっこよくない地味な作業の積み重ねで、関係ってなんとか続いていくのかもしれません。
隣人って聞くと、知らない誰かとか、困っている人をイメージしがちですけど、
実は一番身近な、毎日顔を合わせている人こそ、 「隣人」だったりするんですよね。
イエスさんも、 『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』(マタイの福音書 22:39)
と言っていますよね。
外では愛想よくできるのに、 家に帰った瞬間、返事が雑になる。
そんなこと… ありません?😅
知らない人には「ありがとうございます」って言えるのに、 一番支えてくれている人には、
言わなくてもわかっているだろうって、 なんとなく省略してしまう。
近いからこそ、愛を後回しにしてしまうことって、 意外とあるんですよね。
もちろん、 すべての関係を、何があっても続けなければならない、 という話ではありません。
暴力や脅し、人格否定が繰り返される場所から離れることは、 愛が足りないからではないです。
愛は、自分を壊し続けるための我慢ではありません。
聖書にも、
『あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい』(ローマ人への手紙 12:18)
とあります。
この「自分に関する限り」というところ、わりと現実的だな…って思います。
自分にできることは、ちゃんとやる。
でも、相手が向き合うべき責任まで、 代わりに背負うことはできないんですよね。
愛は一人でも選べるけど、 関係は一人だけじゃ続けられない。
だから、続けたい関係があるなら、 相手が変わるのを待つだけじゃなくて、
自分からできる小さなことを、 今日一つだけでも始めてみたいなと思います。
さっきの言い方、ちょっときつかったね。 話の途中でスマホ見ちゃって、ごめん。 昨日の続き、もう一回話さない?
そんな一言で全部解決するわけじゃないけど… 閉まりかけていた扉を、少しだけ開け直すことはできる気がします。
愛するって、 いつも正解を出すことじゃなくて。
うまくいかなかったあとにも、
「もう一度、あなたと向き合いたい」
って、選び直すことなのかもしれません🥹
それでは皆様、良い一日をお過ごしください✨️
今日も皆様に、主の祝福と平安がありますように🥰🙏
参照: マタイの福音書 22章39節
翻訳: 新改訳2017