朝のメッセージ

怖くないふりをしない信仰

/ 参照: ルカの福音書 13章1-5節

はらぺこ僧侶
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METANOIA

熊本で最大震度7を観測した地震と、自身が救急搬送された一日から、ルカの福音書13章、公正世界仮説、エピクテトスを通して、恐れと信仰、今選べる行動を考えます。

スマートフォンを見つめるピンク髪の女性と、「怖くないふりをしない信仰」「ルカの福音書13:3,5」「向きを変える。それがMETANOIA」の文字

おはようございます☀️ はらぺこ僧侶です。

昨日、熊本で大きな地震がありました。

最大震度7…。

そのニュースを見て、しばらく言葉が出ませんでした。

数字だけでは、そこで暮らす方々が過ごした時間も、今も続いている不安も、私にはきっと想像しきれていないんだと思います。

そして、地震とは全く関係のない話なんですが…。

実は私自身も、昨日、救急車で運ばれていました🚑

詳しい状況は…書きませんが…💦

もちろん、被災地で起きていることと、私の出来事を同じ大きさで語るつもりは全くありません。

ただ、地面も、身体も、こっちの予定なんて待ってくれないんだなって、思い知らされた一日でした。

思っている以上に、私たちは色んなことを自分の手の中に握れていないのかもしれません。

先が見えない時って、人は理由を探したくなりますよね🤔

なぜ起きたのか。 何が悪かったのか。 誰のせいなのか。

心理学に「公正世界仮説」という考え方があります。

世界はちゃんと公平で、良いことをした人には良いことが、悪いことをした人には悪いことが起きるはず…。

そう思いたくなる心の働きのことです。

そう考えられると、世界が少しだけ予測できるような気がして、安心できるんですよね。

でも、その安心を守ろうとするあまり、

「何か悪いことをしたんじゃないか」 「本人にも原因があったんじゃないか」

と、被害に遭った人や病気になった人へ、理由を押しつけてしまうことがあります。

聖書にも、突然の死を前にした人たちの話が出てきます。

新約聖書、ルカの福音書13章で、人々はイエスさんに、当時の権力者ピラトによって殺されたガリラヤ人たちの出来事を報告しました。

その報告を聞いたイエスさんは、

その人たちが、ほかのガリラヤ人より罪深かったから、そんな災難に遭ったと思うのか。

そう問い返したのです。

さらにイエスさんは、シロアムの塔が倒れて亡くなった十八人についても、ほかのエルサレムの人たちより罪深かったから亡くなったと思うのか、と問いかけました。

そして、その考えをはっきりと否定されたんです。

そのうえでイエスさんは、生きている人たちへ、自分自身も悔い改めなければならないと語られました。

(ルカの福音書13:1−5・新改訳2017/要約)

この地震は誰かへの罰だとか、病気になったのは信仰が足りなかったからだとか…。

少なくとも、この箇所をそんな風に読むことはできないんじゃないかなと思います。

ただ、イエスさんは、

「亡くなった人たちは悪くなかった」

で話を終えず、生きている側へ悔い改めを求めました。

ここって、災害の直後に読むには、すごく慎重さが必要な言葉だと思うんです👆️

災害を利用して、

「だから神を信じなさい」 「悔い改めないと、あなたも同じ目に遭う」

と、人を怖がらせるための言葉では決してありません。

聖書が語る悔い改めは、ただ自分を責めたり、後悔したりすることではなく、罪から離れ、神さまの方へ生きる向きを変えることです。

この「向きを変える」という言葉は、私たちの活動名である「METANOIA」にもつながっています。

そのうえで私は…。

他人の不幸を安全な場所から解説したり、誰かの責任を探したりする前に、自分自身の生きる向きを見直しなさい。

そんな呼びかけとしても受け取りたいなと思っています。

哲学者エピクテトスは、私たちに委ねられていることと、そうではないことを分けて考えました。

地震が起きるかどうかも、身体が突然どうなるかも、私たちには完全にコントロールできません。

でも…。

公的な情報を確かめること。 安全な場所へ避難すること。 医療を受けること。 助けを求めること。 困っている人へ連絡すること。 未確認の情報を広げないこと。

そこには、今の私たちにも選べることが、ちゃんとあるんですよね。

信仰って、怖くないふりをすることじゃないと思うんです。

祈っているから救急車を呼ばない、とか。 神さまが守ってくださるから避難しない、とか。

そういうことでは全然ありません。

祈ることと、救急車を呼ぶことは反対じゃない。

信仰と、避難することも反対じゃないんです🙏

神さまに委ねるっていうのは、安全対策や医療を放棄することではなくて…。

結果のすべてを握れなくても、命と愛を守るために、今できる行動を選ぶことなんだと思います。

助けを差し出すことだけが、愛じゃない。

助けを受け取ることも、敗北なんかじゃありません🤝

怖いと感じるのは、信仰が弱いからでもないです。

強さって、何も感じなくなることじゃなくて、必要な時に支えへ手を伸ばせることなんだろうなって思います。

私も、今の自分に委ねられていることは何だろうって考えながら、今日を過ごしたいと思います。

熊本をはじめ、揺れの中で不安な時間を過ごしている方々に、必要な助けと休息が届きますように。

救助、医療、避難支援、復旧にあたってくださっている方々の心と身体が守られますように。

離れた場所にいる私たちも、誰かの不安を煽るのではなく、確かな情報を選び、今日できる愛を一つ行えますように🫶

そして、このニュースを見て不安な気持ちになっている方も、どうか一人で抱え込まないでくださいね🫂

皆様に、主の守りと平安がありますように🙏

参照: ルカの福音書 13章1-5節
翻訳: 新改訳2017