朝のメッセージ

「言った」と「伝わった」は、同じじゃない

/ 参照: ヨハネの福音書 1章14節

「言ったこと」と「伝わったこと」は別物。言葉が届く距離まで近づきながら、自分をすり減らさない伝え方を考えます。

マイクとノートパソコンのある机で考えるピンク髪の女性。「言った」と「伝わった」は同じじゃない、ヨハネ1:14と書かれている。

おはようございます☀️ はらぺこ僧侶です。

昨日、歌を作りながら、発音沼にハマってました。

「To haima Iesou」

たった一行なんです。

Sunoに歌わせてみたら、

「オ ハイマ イエッソー」

いや違う、そうじゃなくて……と直したら、

今度は、

「オ ハイマ アイエッソー」

もうね、一行相手に何人で会議してるんだって話です笑

アルファベットを変えたり、発音記号を入れたり、カタカナを混ぜたり。

書いている文字は合っているはずなのに、耳に届く音が全然違う。

これ、歌だけじゃないよなって、途中でふと思ったんです。

「言ったこと」と「伝わったこと」って、実は別物なんですよね。

「ちゃんと言ったよ」

「前にも説明したよね」

そう思っていても、相手には突き放されたように聞こえていたりする。

逆に、相手が一生懸命話しているのに、こっちが自分に都合よく変換してしまうこともあります。

伝えるって、正しい言葉を相手の前に置いたら終わり、じゃないんだなと。

このことを考えていたら、聖書の一節を思い出しました。

『ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。』

(ヨハネの福音書 1:14・新改訳2017)

神は、遠くから正しいことを伝えて終わるのではなく、人となって、私たちの現実の中へ来られた。

届く距離まで、近づいてくださったんですよね。

愛って、

「正しいことを言ったんだから、あとは受け取る側の問題」

では終わらないのかもなって。

相手のいる場所まで、こちらから少し近づいていく。

ただ、これは相手に合わせて、本当のことを曲げるのとは違います。

優しさだけで濁さない。

正しさだけで押し潰さない。

その両方を失わずに伝えることが、大事なんだと思います。

もちろん、何度説明してもこちらの言葉を意図的にねじ曲げる人や、そもそも聞く気がない人にまで、永遠に付き合う必要はないと思っています。

伝わらない責任を、全部一人で背負わなくていい。

距離を置いた方がいい関係もあります。

でも、普段のちょっとしたすれ違いの中で、

「言ったんだから分かるはず」

と思った時には、もう一度だけ考えてみたいなって。

私の言葉は、相手にはどんな音で届いたんだろう。

相手が言いたかったことを、私は自分に都合よく変換していないかな。

今日は「前にも言ったよね」の前に、一言だけ変えてみる。

「こういう意味で合ってる?」

って、一回だけ聞き直してみる。

それだけで、ずっと噛み合わなかった会話が、少し動くこともあります。

歌の発音も、人との会話も、正しい文字だけでは完成しないんだなと、しみじみ思いました。

届くまで、ちょっとだけ近づいてみる。

でも、自分をすり減らしてまでは、いかない。

そのちょうどいい場所を、今日も探していきたいです。

では、今日もゆっくりまったり、良い一日を🤗

参照: ヨハネの福音書 1章14節
翻訳: 新改訳2017